佐久間 哲
ニッポンリポート
法廷編
覚せい剤密輸中国ルート事件（下）
覚せい剤約２００キロの隠されたコンテナが船積みされた約３カ月後、同じ広州の黄埔港で、２６個の木箱に入った長さが１３０センチから１８０センチ、直径が２０センチの大理石の円柱３７本が、パナマ船籍の貨物船に積み込まれた。
９９年４月２８日、出港し、５月１１日、東京・青海埠頭で陸揚げされた。２１日、税関のＸ線検査で、覚せい剤が空洞になった円柱の中に入っていることが判明する。
そこで、警視庁、埼玉県警、東京税関は、ＣＤ捜査を実施する。大理石は、５月２２日、埼玉・春日部にある倉庫に運び込まれる。翌２３日、覚せい剤を取り出しにきた男が逮捕され、覚せい剤約１４７キロが押収された。数十人の捜査員が張り込んでいたというが、逮捕の混乱に乗じて、１人の男が取り出した覚せい剤約３５キロを車に積んで逃走した。
ＣＤ捜査で最大の注意点は、覚せい剤を１グラムたりとも犯人の手に渡さず、全量押収することだ。この事件の場合、３５キロという大量の覚せい剤を持ち出されたので、大失敗だったが、その後の捜査の結果、逮捕者は６人にのぼった。
そのうち、イギリス国籍で香港在住の陳裕民被告（３３歳）、倉庫で逮捕された、同じく徐沢文被告（２８歳）の公判は、９９年８月２０日、東京地裁ではじまった。また、倉庫から逃走し、後日、東京・杉並のホテルで逮捕された、イギリス国籍で香港在住の黄大章被告（４０歳）の公判は、１０月７日から行われた。
それぞれの冒頭陳述、被告人質問などによると、このケースでも、首謀者は香港の犯罪組織幹部であった。三合会と総称される香港犯罪組織は、多くの組織系列にわかれている。その中の新義安の幹部である楊昇平、組織は違うが、楊と仲のいい１４Ｋの朱仁輝が、今回の密輸事件の首謀者といわれる。
密輸の手口も、これまでと同様である。かれらの指示で、最初に手配したのが、日本側の荷受け会社を探すことだ。中国人女性を妻にしている不動産仲介業の日本人が、「骨董品を輸出するために必要」などと、１００万円の謝礼を払うことで、友人の会社の了解をとりつける。純然たる商取引であることを装うため、見せかけの輸入代金も、広州の輸出先に送金された。
次は、日本に行って、覚せい剤を取り出す人間を見つける。トラック運転手の陳には、４０万香港ドル（約６００万円）の報酬をやると持ちかけた。さらに、陳は、「日本で命がけの仕事を頼みたい」などと、まず、かねてからのしりあいの黄を誘い込む。「２人必要なんだが」と、陳にいわれ、黄がトラック運転手の徐を連れてくる。
陳は、黄に２０万香港ドル（約３００万円）の報酬を約束し、黄は、自分の報酬の中から、徐に５万香港ドル（約７５万円）をやる約束をした。陳と黄は、多額な借金を抱えており、この仕事に乗った。徐はとりたてて金に困っていたわけではないが、うまい話に加わった。
陳は５月１１日、徐と黄は５月１２日、日本に到着する。５月初旬には、楊も来日していた。
倉庫の手配は、これも中国人女性の夫が、「輸入品の石を、２、３日預かってほしい」と倉庫会社に交渉し、賃貸料１２万円で確保する。中国人女性とその夫の報酬も１００万円程度だったという。
携帯電話とレンタカーも準備し、木箱を外すドライバー、大理石を壊して、覚せい剤を取り出す長さ１メートルぐらいのハンマーを用意した。
倉庫に運び込まれる木箱は、１本入りと２本入りの２種類がある。そのうち、１本入りのほうに覚せい剤が入っていた。２６個のうち、１本入りの木箱は１５個だ。２３日、倉庫に出かけた黄と徐は、この日は、そのうち、３本だけを壊し、１キロずつ小分けして、すぐに新宿方面に届ける予定になっていた。
検察官が黄に尋ねる。
──覚せい剤を取り出し、倉庫から出たとき、警察がきたのに気がついたのですか。
「はい」
──持って逃げた覚せい剤はどうなりましたか。
「どうなったか、わかりません」
約３５キロを持って逃げた黄は、乗り捨てたレンタカーの駐車場所を仲間に連絡した。結局、この覚せい剤は密売されたとみられる。
裁判長も黄に尋ねた。
──どの程度の罪になると考えていたのですか。
「具体的にはしりません」
──犯行しても、ばれることはないと楽観していたのですか。
「多少、ラッキーというのも考えました。倉庫から荷物を取り出すということだけで、すでに、警察の捜査をかわしてからのことだからと思いました」
ラッキーといえば、黄は、９６年、フィリピンで覚せい剤所持容疑で逮捕されたが、起訴されなかった経験の持ち主である。
９９年１２月１０日、黄の判決がいい渡された。懲役１１年、罰金２００万円である。白いジャンパー、薄い黄色のジーパン、メガネをかけた大柄な被告は、がっくりと首をうなだれた。すでに、陳は懲役１１年、罰金２００万円、徐は懲役７年、罰金１００万円の判決を受けていた。
これらの事件の前にも、９１年、中国の貨物船で、覚せい剤４２キロを運び、香港からきた３人の男が、神戸港で船から持ち出したところを逮捕された事件などもあった。
なぜ、中国ルートで、次から次へと大量の覚せい剤が密輸されるのであろうか。覚せい剤密造は、日本でも行われたことがある。しかし、製造過程で発生する臭気がひどい。そのため、発覚する危険性が高く、取り締まりの強化とともに、徐々に消え去る。かわりに、日本で覚せい剤密造を手がけたグループなどが韓国に目をつけ、密造をはじめる。
「このほど、建国以来最大の覚せい剤製造グループが検挙された。主犯が韓国有数の児童服メーカー経営者夫妻だったことや、高級住宅街で白昼堂々覚せい剤がつくられていたことなどで、韓国民にショックを与えている」
「夫婦は８７年９月中旬ごろから、ソウル市内の高級住宅の中に、『覚せい剤製造工場』を設け、塩酸エフェドリンを原料に、同年末までに約２２０キロの覚せい剤をつくった」
「昨年８月、約１００キロを日本に『輸出』したというのが、直接の逮捕容疑。しかし、夫妻の犯行は、少なくとも７５年からスタートしていると見られ、総生産量は２０００キロを超えていたというのが、当局の見方だ」
「通常は、製造過程で悪臭が出るため、山中や無人島にアジトを置いていたグループが多いのに、意表をついて住宅街の真ん中で製造。なるべく風通しのいい、晴れた日の昼間に製造に励んでいたという」（『毎日新聞』８９年１０月９日付）
このような摘発ケースもあったが、それ以前から韓国でも取り締まりが厳しくなり、次に、台湾が主要な密造基地になる。
しかし、８０年代後半、台湾と中国の交流が活発になると、台湾の密輸・密造グループが中国に進出をはじめる。
「以降、中国東南部は、覚せい剤密造の一大拠点となった。一方、韓国で過去に摘発されたグループも刑期を終え、刑務所から出所しはじめ、そのうちのいくつかは、中国東北部の朝鮮族居住地を密造拠点として開拓をはじめたのである。なお、中国は、日本以外に、フィリピン、韓国、台湾等への覚せい剤供給地になっている」（『警察学論集』９８年５月号）
中国には、漢方のかぜ薬の原料である麻黄が自生し、広く利用されている。ここから覚せい剤原料のエフェドリンがとれるのである。そのため、原料にも事欠かない条件もあった。
２０００年６月、中国が初めて発表した“麻薬白書”ともいうべき「中国的禁毒」によると、１９９１年から９９年の間、押収した薬物は、ヘロイン３９．６７トン、アヘン１６．８９４トン、大麻１５．０７９トン、そして、覚せい剤が２３．３７５トンという膨大な量に達している。
各種の報道を見ると、
９１年、中国の捜査当局は、「台湾や香港の麻薬密売組織と組んで、大量の覚せい剤を製造していた北京、アモイ、広州の製薬、化学工場３カ所を摘発した。中国で覚せい剤の大量密造が明るみに出たのは、初めて」
「中国公安部の刑事犯罪捜査局長は、このほど、中国南部の雲南省昆明市で開かれた麻薬取締り会議で『台湾や香港の密売組織が中国の犯罪分子と結託、ぜんそくやせきの治療薬と偽って、覚せい剤を密造させていた』と報告。捜査が進行中だと述べた。
調べによると、北京の化学薬品工場は、台湾からの依頼で、４７９キロの覚せい剤を製造。うち３８１キロを香港に持ち出した。広州では、香港の麻薬組織と組んで密造。７６キロを国外に流した。アモイでは、台湾と福建省の麻薬業者が合弁で密造しているのを、地元警察が摘発。１４キロを押収したが、４３キロがすでに国外に持ち出されていたという」（共同通信、９１年１０月２６日）
以来、たびたび密造工場が摘発されている。
９８年４月、福建省福清で、覚せい剤密造工場を壊滅し、製造中の覚せい剤液体２０キロ、設備、原料を押収し、台湾人６人を逮捕した。９９年６月、広東省広州で、覚せい剤密造のもつれなどから、７人が殺害されるという事件も発生する。さらに、９９年７月、広東省惠州の公安局は、中国建国以来最大の覚せい剤密造事件を摘発し、覚せい剤１５８４キロと製造器具を押収した。香港の密輸グループに依頼されて密造したという。これらを含めて、９９年だけで約１６トンもの覚せい剤を押収した。
密造された覚せい剤は密輸されるだけではなく、中国国内にも乱用者が生まれ、社会的問題になっている。国際的な責務からいっても、中国当局は懸命の取り締まりを実施している。２０００年３月、薬物犯罪の最高責任者である中国公安部禁毒局長は、「ことしの最大の敵は覚せい剤である」と宣言した。
中国人グループの三つの密輸事件の特徴は、日本までやってきて、みずから受け取り、日本国内での覚せい剤卸元の役割も果たしている点だ。
９９年の時点で、各国の覚せい剤の末端価格を比較すると、中国、香港、フィリピンでは１グラム５５００円前後、台湾では８５００円前後だ。
ところが、日本では、高いものになると、約６万円である。香港で密売するよりも１０倍は高い。密輸から密売まで、自前の組織で行えば、末端に近づけば近づくほど、それだけもうけが巨額にのぼる。そのため、日本国内での卸売と見られる段階で逮捕されるケースも続発している。
９９年７月５日、東京地裁の法廷で裁かれる趙光達被告（４１歳）は、落ちついた態度で入廷した。スポーツ刈りで、黒いトレーナー姿である。趙は、上海で生まれ、化学工場で働くが、８８年、来日した。
日本語学校にも通ったが、９４年、不法残留の罪で、富山地裁で懲役２年６月、執行猶予３年の判決を受け、強制退去で帰国する。上海で株式売買などをしていたが、１５０万円で、偽造の船員手帳を入手し、９６年９月、再度来日する。
９９年３月２４日、仕事を探しているとき、パチンコ店で、呉と名乗る男としりあい、東京・王子のかれのマンションで同居する。呉は中国人薬物グループの関係者として、警察はマークしていた。
４月２日、「ちょっと用事がある。ついてこい」といわれ、趙は呉と一緒にマンションを出る。ＪＲ常磐線に乗り、水戸に向かう。警察は追跡する。水戸駅で２人は別れたが、趙が駅の改札口で待っていると、呉がバッグを二つ持って戻ってきた。
そのうち、一つを趙が持ち、再び、常磐線に乗り、東京方面に戻る。その途中、急に松戸駅で下車し、タクシーに乗りかえる。タクシーの車内で、しきりに後ろを振り返っていた呉は、突然、「ここで下りる」と、バッグを一つ持って、タクシーから下りる。趙はそのままタクシーに乗り、呉らと携帯電話で連絡をとりながら、池袋に到着する。
午後８時４０分ごろ、信号待ちしていたところを、職務質問され、旅券不携帯で逮捕される。タクシーのトランクに入っていたバッグには、覚せい剤原料約３５キロが入っていた。この原料は、覚せい剤を密売するときに、増量剤として使われるものだ。
罪状認否では、「頼まれて運ぶのを手伝ったが、中身はしらされなかった」と、否認した。その後、７月２６日、９月９日、９月２９日と公判が開かれ、この間、被告人質問も行われた。弁護人から尋ねられると、趙はぼそぼそと投げやり口調で答える。
──あなたはバッグを運びましたが、覚せい剤とはしらなかったのですか。
「はい」
──もし、途中でバッグの中身が覚せい剤とわかったら、どうしていましたか。
「警察に渡します」
──結果的には、覚せい剤が入っていましたが、その点についてはどう思っていますか。
「教訓として受けとめ、これから何事に対しても、気をつけてやります。やってはいけないことはやりません」
検察官の質問に対しても、同じような話し方である。
──何をしに、また、日本にきたのですか。
「金を稼ぐためです」
──どういう方法でですか。
「働きます」
──犯罪でですか。
「正当な仕事です」
──呉の本名を、当然、しっていると思いますが。
「しっているとはいっていません」
──名前もしらない男のところに住んでいたのですか。
「上海の仲間はみんなそうです」
この答えからすると、呉は上海出身の中国人かもしれない。
──タクシーで携帯電話をかけたとき、相手に、「キャッシュ、キャッシュ」といっていませんか。
「日本語がわからないので、キャッシュという意味がわかりません」
──キャッシュは英語ですが。
「わかりません」
バッグを渡す相手から現金を受け取る予定だったようだ。趙は、あくまでも否認していたが、１１月２日、懲役４年６月の判決を受ける。
横浜地裁横須賀支部でも、９９年５月２８日、懲役４年６月の判決を受けた運び屋がいる。張千念被告（４２歳）は、小柄で額は多少後退ぎみだ。焦げ茶色の半コートに黒いズボンで裁判を受けた。張は香港に住み、タクシー運転手をしていた。妻とは別居中で、１２歳の女の子がいる。賭博好きな妻の借金２万香港ドル（約３０万円）の返済に困っていた張は、借金していた金融会社から、「返済のかわりに、日本で仕事をしないか」と提案された。借金を帳消しにするほか、３万香港ドル（約４５万円）を報酬としてくれるというのだ。
逮捕される１週間ほど前、ツアーの一員として来日した。９８年１２月１６日、横浜駅のコインロッカーに入っていた覚せい剤約５キロを取り出したところを逮捕される。覚せい剤は約１キロずつ小分けされていた。
弁護人が張に尋ねる。
──刑務所にいく可能性が高いという認識はありましたか。
「承知していました。娘には、多分、日本に行って、２年間働くといいました」
──捕まったら、２年間ぐらい刑務所に行くという認識ですか。
「はい」
──いま、捕まって、２年で済むと思っていますか。
「思っていません」
──拘置所の中で、どのようなことを考えていますか。
「娘の生活などを考えると、大変心配です」
検察官の質問に対しては、次のように答えた。
──３万香港ドルの報酬で、今回の犯行を行いましたが、ただ、運ぶだけで、そのような報酬をもらえるのは、どういう仕事と思いましたか。
「当時、何か、禁制品を運ばされるとは気がつきました。具体的には、どんなものかはしりませんでした」
ただ、薬品といわれたそうだ。
──あなたに仕事を頼んだ人にとって、どういう意味の仕事だと思いましたか。
「自分は引き取って、人に渡す役割です。依頼主にとっては、成功するのに必要なことです」
──コインロッカーから取り出し、横浜駅西口まで運ぼうとしていましたね。
「私と一緒に行動していた陶が、『ロッカーから取り出して、私に渡してくれ』といいました」
コインロッカーからはほんのわずかな距離を運ぶだけである。
──どうして、陶が自分でやらなかったのですか。
「荷物を取り出して、まもなく、警察に捕まりました。陶も危険性をしっていたのかもしれません」
陶の身元は、在日の台湾人らしい。
──あなたに危険な部分を担当させるということですか。
「はい」
張の逮捕のきっかけは、「きょう、中国人が横浜駅で覚せい剤の取引をするそうだ。行ってごらんなさい」という趣旨の密告が、神奈川県警にあったからだ。張は、コインロッカーの開け方もしらず、まごまごしていた。ようやく、取り出したところで逮捕されたわけだ。
密告で逮捕される男がいる一方で、みずから警察に出頭する男もいる。２０００年２月２４日、東京地裁の法廷には、頭を丸々と坊主刈りにし、やせ型で身長が１７５センチぐらいの羅致和被告（２７歳）が出廷した。
香港で生まれ、服の小売りをしていたが、経営状態は思わしくなかった。経営資金とギャンブルで５万香港ドル（約７５万円）の借金があり、貸してくれた鄭という男から、「偽造カードの仕事がある」と誘われて、９９年６月、初来日した。偽造カードで買い取った品物を保管するための部屋を確保する役目を与えられ、東京・墨田のアパートを借りる。
その後、いったん帰国するが、１１月上旬、鄭から、「偽造カードで買い取った品物の保管役をすれば、６万香港ドル（約９０万円）の報酬をやる」といわれ、１２月７日、再度来日し、東京・墨田のアパートで鄭と同居する。
１２月１５日、鄭がアパートに台湾人の男女を連れてきた。台湾人は、スポーツバッグとデパートのビニール袋を持ってきて、そのまま置いて帰った。台湾人がとりにくるまで預かることになった。
１２月２３日、「預かったものは覚せい剤だ。自分や台湾人は、組織の運び屋で、ボスはシンガポール人」などと鄭から聞かされる。２人で、覚せい剤を化粧ケース二つに入れなおし、部屋の天袋にしまった。
しかし、羅はだんだん不安になってきた。このまま鄭の手下になっていると、警察にいつ逮捕されるかわからない。警察に通報して、鄭を捕まえてもらおう。「しらない間に、部屋に覚せい剤があった」などと、自分は無関係を装うことにした。
しかし、それでは、鄭に密告したと疑われる。そこで、自分は、覚せい剤を吸引したことがあるし、それで捕まえてもらおうと考えた。
１２月２４日午後７時過ぎ、アパート近くの交番に出向いた。「われ、中毒」という意味の中国語で書いたメモを差し出し、多量の覚せい剤もあると、交番の警察官に訴えた。ところが、警察官は、中国語が理解できない。「手をつくしたが、通訳の派遣がすぐにはできない。あした、もう一回くるように」といって、帰した。
翌２５日、羅は、今度は近くの警察署に行って、「鄭が覚せい剤を隠している」と同じことを述べた。警察は羅を捜査協力者として使うことにし、そのまま、羅をアパートに帰し、鄭を逮捕するため、その周辺に張り込んだ。
しかし、鄭はなかなか帰ってこない。２６日、羅はそわそわして落ちつかなくなった。鄭がこのまま帰ってこなければ、自分が疑われる。「ビデオショップに行ってくる」と捜査員に告げて部屋を出ると、逃げだしたのである。
２８日、警察はアパートを捜索し、覚せい剤を押収すると、２９日、羅の逮捕状をとる。３０日、成田空港で香港行の飛行機の中にいるところを発見し、機内から外に出てもらい、逮捕した。鄭の所在は捜査中である。
弁護人からの質問に、羅は大きな声ではっきりと答える。
──鄭の組織は、偽造カードを使って、日本でものを買ったり、保管する組織と思っていたのですか。
「はい」
──台湾人の男女が覚せい剤を持ち込んだといいますが、しっている人でしたか。
「見たことはあります」
──どこでですか。
「１２月７日と８日、新宿の高級ホテルです」
この台湾人がアパートに覚せい剤を持ち込んだ日は、１２月１５日である。『読売新聞』（９９年１２月２７日付夕刊）によると、この２日後の１７日午前７時ごろ、新宿の高級ホテルの地下駐車場にとめた乗用車のトランクと後部座席から、ダンボール箱６箱に入った覚せい剤１２０キロが押収された。
この車に乗ろうとした暴力団幹部が逮捕される。「１６日に知人から借りた車を中国人に貸した。その車をホテルにとりに行っただけで、覚せい剤が車内にあるとはしらなかった」と弁解したそうだ。
この事件と台湾人男女の出現は、時間的に非常に近い。元は同じ密輸かもしれない。
いずれにせよ、羅はわざわざ密告までしたのに、逃げだした。
──警察に通報したのに、警察に黙って出国しようとしたのはなぜですか。
「うちに帰りたかったからです」
──そのまま警察に協力していたら、どうなると思いましたか。
「もし、鄭が捕まらなければ、私が目標となるべき立場になります」
──それで、恐くなったのですか。
「はい」
続いて、検察官の質問だ。
──日本で偽造カードで商品をだましとって、日本の警察に捕まる心配はしなかったのですか。
「しました」
──それを鄭に話しましたか。
「話しました」
──鄭は何といいましたか。
「店の人に見つかったら、商品を返して、あやまれば大丈夫だといわれました」
──鄭は、はじめから、あなたに覚せい剤の保管役をやらせようと思っていたのではありませんか。
「考えたことはありません」
──あなたの調書では、罰としては懲役１５年ぐらいといっています。どうして、１５年と考えたのですか。
「香港でも１５年ぐらいは入るということです」
──香港の基準でいくとそうなると、だれかに聞いたのですか。
「新聞で見てしっています」
──日本と香港と比較し、死刑があるかどうかも考えたのですか。
「比較したことはあります」
──それで、日本はどうだということですか。
「多分、十数年は入るだろうと思いました」
検察官が指摘したところでは、羅は、台湾当局から、香港から台湾へのヘロイン密輸で指名手配されているという。検察官は、この点も追及したが、羅は台湾に行ったことはあるが、薬物犯罪にはかかわったことはないと否定した。検察官は、羅の予想よりもずっと軽い懲役６年を求刑した。判決は残念ながら聞き逃した。
羅が覚せい剤に対する刑罰のことを心配したのは当然のことである。日本では薬物犯罪の最高刑は無期懲役だが、中国では薬物犯罪の最高刑は死刑だ。
中国刑法は、「第７節 毒物密輸、販売、運送及び製造罪」で、薬物犯罪の内容と罰則を規定している。
ここでいう毒物とは、アヘン、モルヒネ、ヘロイン、覚せい剤、大麻、コカイン、麻酔・向精神薬の規制薬物を指す。第７節中の第３４７条には、「毒物を密輸し、販売し、運送し、または製造した者は、数量の多少を問わず、いずれも刑事責任を追及し、刑事処罰をしなければならない」とし、その２項には、「毒物を密輸し、販売し、運送し、または製造し、次の各号の一に該当する者は、１５年以上の有期懲役、無期懲役、または死刑に処し、財産没収を併科する」。以下、各号が列挙してある。
1)アヘン１０００グラム以上、ヘロインもしくは覚せい剤５０グラム以上、またはその他の数量の大きい毒物を密輸し、販売し、運送し、または製造した者。
2)毒物を密輸し、販売し、運送し、または製造する集団の首謀者。
3)毒物を密輸し、販売し、運送し、または製造するのを武装援護した者。
4)暴力により検査、勾留、または逮捕を拒絶し、情状が重大な者。
5)組織的な国際毒物販売活動に関与した者。
また、1)の数量による規定は、これより少なくなると、死刑と無期の罰則が除外され、有期懲役だけとなる。
羅が予想したように、「組織的な国際毒物販売活動に関与した者」は、最低でも１５年の懲役である。
香港では、１国２制度のため、死刑制度がなく、死刑の心配はないものの、やはり、罰則は厳しい。
しかも、中国では、死刑判決が非常に多い。９２年の処刑の状況を伝える報道がある。
「６月２４日から２６日にかけて、麻薬関係の公開裁判が行われ、わかっただけで５８人が銃殺された。２６日の国際薬物乱用防止デーにあわせ、麻薬に手を出す犯罪者への見せしめのために行われたもので、麻薬犯罪が最も深刻な雲南省の昆明では、同日、没収したヘロインとアヘン合計４トンを燃やし、２１人に死刑をいい渡し、１８人が処刑された。このほか、甘粛省の各地で合計６人、四川省成都で５人、陜西省西安で１人、貴州省の各地で合計７人が、それぞれ処刑された」（時事通信、９２年６月２７日）
覚せい剤関係でも、たとえば、９５年１１月、天津市で覚せい剤９８９グラムを密売した男が逮捕され、９７年６月、死刑を執行された。９９年にも、６月２６日の国際薬物乱用撲滅デーを前に、薬物犯罪の罪で、「２５日には、全国で少なくとも８５人が死刑の宣告を受け、その多くが同日中に処刑された」（共同通信、９９年６月２６日）。死刑判決を受けたうちの２人は、広東省の広州、従化、羅定などで覚せい剤９４６キロを密造した被告であった。
２０００年６月、国際薬物乱用撲滅デーを前に、北京で７人、広州で３人をはじめ、惠州でも、建国以来最大の覚せい剤押収量となった事件の４人の主犯が死刑を執行されたのである。
（２００１年１月１５日掲載、登場人物は仮名、著作権者・サクマ テツ）
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SAKUMA TETSU
フリーライター
著書［恐るべき証人］［検死解剖マニュアル］［拳銃天国ニッポン］など