佐久間 哲
ニッポンリポート
法廷編
田園都市線強制わいせつ事件
電車内での痴漢行為が犯罪であることは当たり前だ。しかし、痴漢容疑で逮捕されるケースの中には、無実を訴える人もいる。現実に、裁判で無罪となった場合もある。ここに紹介するケースも、無実を訴えた事件の１つである。
１９９４年１０月１３日、新聞にも載らず、たまたま事件をしって、東京地裁の法廷に駆けつけたとき、公判はすでに何回目かに入っていて、ちょうど被告人質問の日であった。被告は、３００万の保釈保証金を支払って保釈されていたが、開廷を前に、被告席に着席する。４０歳前後だろうか。ともあれ、被告のいい分を聞いてみよう。
はじめに、２人の弁護人のうち、主任弁護人が質問した。
──普段は、昼過ぎ、電車に乗って、勤務先に行くのですか。
「はい」
──午前中はあいている。その時間に体力づくりをしていた。
「はい」
──駅の近くのスポーツクラブに加入していましたか。
「はい。自宅の道路をはさんだ斜め前にあります」
事件の起きた４月の金曜日は、午前中、用事があるのて、早めに自宅を出た。
──事件当日、朝７時過ぎに起床して、朝食をとり、朝８時ごろ、家を出た。自宅から１０分弱の（田園都市線の）二子玉川駅に行く。駅から渋谷方面行きの電車に乗る。１番から４番ホームがある。乗ったのは、３番ホームからでしたか。
「はい」
──４番ホームは。
「大井町線の折り返しホームです」
──４番ホームには、大分、大井町線への乗換客がいた。あなたは、結果的には、前から４両目の後ろから２番目の扉から電車に乗りましたか、そういう扉から入るという意識はありましたか。
「ありません」
──ホームの混雑はどうでしたか。
「混んでいました」
──普段は、一番前の車両に乗りますか。
「はい」
──そうすると、普段のあなたの降車駅で、まっすぐ階段を上がって、改札口に出れる。しかし、この日は、表参道で銀座線に乗り換えるので、この辺から乗ったのですか。
「はい」
──たまたま、そこに乗ったのですか。
「急行が混雑していたので、やり過ごし、４番ホームから乗る人がいたので、そこを縫うように歩いていったとき、各駅停車が入ってきて、そこで乗りました」
──乗り込んだ電車の位置は、進行方向に向かったら、左側の扉から入る格好。向かい側の扉を向いて立っていた。両扉の真ん中から見て、どっちかに寄っていましたか。
「ドアとドアの間に立って、文庫本を読んでいました。警察に押収された本です。電車に乗ってから、すぐ、読みはじめました」
──そのときの混みぐあいはどうでしたか。
「周りに人が立っていて、両足で踏ん張って、揺れで人に触れるという感じでした」
──そのままの状態で、電車は、用賀、桜新町、駒沢大学駅へと進む。用賀、桜新町というのは、左側の扉が開きますね。
「少しずつ、両駅とも客が乗って、少し前に出た記憶があります」
田園都市線のこれからの区間は、地下を走る。
──二子玉川での混みぐあいとの差はどうですか。
「そんなに差はありません。少し密度が濃くなったかなという程度です」
──駒沢大学駅で降りた客は。
「覚えていません」
──乗る客は。
「一気にどどって、左右からなだれこんでくる印象です」
──被害者の女性の姿は見ましたか。
「はい」
──どんな感じでしたか。
「乗る客が左右から入り込んできて、目を上げたら、目の前に女性がいました」
──それまで、本を読んでいた。駅についたときも、読んでいた。少し顔をあげたとき、彼女に気がついた。正面から、向かってくる感じでしたか。
「はい。そのうち、押される感じで、私の目の前にきて、さらに、後ろから乗ってくるので、彼女はぐるっと回って、私に背中を押しつける形になりました」
──混雑の感じはどうでしたか。そのまま（次の）三軒茶屋駅に行くまで、身動きできない状態でしたか。
「どうにも身動きできないことはありませんが、動かすとすれば、人に断るような感じでした」
──三軒茶屋で客が乗ってきたとき、あなたは、後ろに後退しましたか。
「はい。後ろにも人がいて、あれだけ乗ってきて、二子のドア口までは押されませんでしたが、１歩か２歩ぐらいあとずさりしました」
──駒沢大学の駅で、降りる客に押されて、一度、ホームにおりたことはありましたか。
「一度もありません。絶対にありません」
──被害者の証言では、被害者が駒沢大学駅で乗ったとき、あなたが後ろから乗り込んで、わざわざ左後ろに回ったといっていますが。
「絶対ありません」
この質問を聞くと、すでに、被害者が法廷で証言したようだ。被害者は２１歳の会社員だという。
──駒沢大学駅から三軒茶屋駅の間、あなたの行動ですが、左手に本を持ったままでしたか。
「はい」
──左手の位置は。
「中途半端に上げた形です」
──左手が彼女の左肩あたりに触っていましたか。
「肩に押しつけられる形にはなっていました」
──そのとき、本は読んではいない。
「はい」
──読めなかったのですか。
「はい」
──相手の背中や腰のあたりが、前面に密着し、あなたは興奮して、被害者の右腰を右手で抱く形になったのですか。
「はい」
──左手は相手の肩のあたりで、意図的に触っていませんね。
「はい」
──右手で右腰を抱いたのは意図的でしたか。
「途中からそうです」
──だんだん興奮してきて。
「そうです」
──そして、三軒茶屋駅まで行った。その間、被害者が嫌がるような態度はどうですか。肘を突き上げるとかの行動は。
「ありません」
──まったく動かなかったという記憶ですか。
「はい」
──あなたの背は。
「１７０センチぐらいです」
──彼女は１５７センチ。あなたと１０センチぐらいの差がある。相手の腰の部分にあわせるために、あなたがしゃがんで背を低くしたことはありますか。
「ありません」
──駒沢大学駅では右側の扉が開く。三軒茶屋では左側の扉が開く。あなたは、三軒茶屋でいったん降りましたか。
「間違いありません」
──どういう感じで降りたのですか。
「私の後ろの、ドア側の乗客たちが、降りる人、いったん下車する人がいて、私はそのまま乗っていることもできましたが、降りる方を降りにくくする。後ろがドアに向かって、がらんどうの状態になりますので、女性にくっついている状態が丸見えです。がらあきになるので、いったん、降りました」
──扉のすぐ後ろに降りましたか。
「はい」
──再度、乗り込むときの感じは、進んで乗ったのか、乗客の波ですか。
「一番先頭でなだれこむように乗車しました」
──どの辺ですか。
「女性を避けて、少し左側の通路側に入り込みました」
──彼女からは、少し離れたところですか。
「はい」
──検面調書では、そこから、ほかの車両に乗り換えればと検察官から聞かれたようだが、ほかの車両に乗り換えできる状態でしたか。
「周りから囲まれている状態で、自然な動きとしてはできませんでした」
──前が膨らんでいて、恥ずかしかったとも供述していますが、それで、そのまま乗ったということもありましたか。
「はい」
──電車は池尻大橋、渋谷駅と進行しますが、そのときの混みぐあいは、駒沢大学と三軒茶屋駅間と比べてどうでしたか。
「少し混んでいたと思います」
──三軒茶屋駅で彼女と離れているが、彼女の姿は見ていますか。
「見ていません」
──あなたと彼女との間には、何人ぐらい乗客がいましたか。
「２、３人です」
──池尻大橋の乗降客は。
「覚えていません。そんなに大勢ではありませんが、少しぐっと動いたかなという感じでした」
被告は、渋谷駅から１つ先の表参道駅で乗り換える予定だった。
──渋谷駅に到着し、ホームに降りたのは、客に押されてですか、流れで降りたのですか。もっと後ろの車両に乗り換えようと思ったのですか。
「気持ちはあとのほうです。渋谷駅は降りる人のすごい波で、ほとんど降りるので、流れで降りました」
──電車の中で、いったん踏みとどまって、やり過ごしてから降りたということはありますか。
「ありません」
──被害者が先にホームに降りるのを目撃しましたか。
「見ていません」
──被害者は、ホームからおりて、扉の脇にいたが、それを見ましたか。
「はい。降りようとしたときに、ドア口のところに、再乗車しようと、女性が立っているのがわかりました。目があいました」
──目があったとき、何か感じましたか。
「すぐ、目をそらして、嫌だなという感じになりました。そして、すぐ、歩きだしました」
──ぱつが悪いという感じですか。
「はい」
──駒沢大学から三軒茶屋駅間のことで。
「はい」
──歩いていく経路ですが、ホームにはベンチがあって、右手に売店があって、階段がある。どこを通りましたか。
「売店の先がすぐエスカレーター、階段があり、人の波がすごいので、大きく迂回する形で、少しでも後ろの車両にいこうとしました」
──売店の向こう側のところで、彼女に呼びとめられましたか。
「はい」
──何といわれましたか。
「ちょっととか。それで、振り返りました」
──被害者はあなたの後ろをついてきたようだが、それで、どうしましたか。
「何ですかといいました。私の袖口をつかむようにしたので、何をするんですかといって、振り切りました」
──相手は詰問していたのですか。
「はい」
──彼女の声、あなたの声は大きい声でしたか。
「そんなに大きな声ではありませんでした」
──いまのあなたの静かな声と比べると。
「少し大きい」
──あなたは逃げちゃうが、どうしてですか。
「自分の痴漢的な行為が責められたと思って、振り切って立ち去ろうとしました。女性が近くにいた駅員さんを呼びとめて、振り返ったら、駅員がいて、それで、そういう現場では、自分が開き直って、何をいっても、周りも女性の味方だろう。そういう人たちが集まって、決して、自分にとって、いい展開じゃないというふうに判断して、走りだしました。
そしたら、その駅員が４０メートルぐらい先にいた別の駅員に、『おーい』とか呼びかけて、その人が両手を広げて、ゴールキーパーのように待ち構えていたので、『私は何もやっていない』といって、そこで捕まりました」
──どうして逃げたんですか。そのときの気持ちを分析すると、先ほどいったようなことですか。
「はい」
──あなたは大声で人といい争いすることはありますか。
「あまり……、どうかするとありますが、臆病なほうですから。そのときでも、普通ですと、『だれが、おまえのようなブスにするか』というが、あとで面会にきた兄にいわせると、そういったかもしれません」
──その気持ちのもととなる行為は、先ほどいったような行為。広くいえば痴漢行為ですか。
「はい」
ところが、事はそれだけではないようなのである。
──相手が自分のパンストに射精されたことは。
「そのときは、全然しりませんでした」
──射精の被害もあるということを、最初にしったのは。
「渋谷駅の交番に連れていかれてからです。ホームで捕まえられ、ホームの公安室で待たされているとき、『汚いでしょ。脱いだほうがいい』と彼女にいっている声が聞こえました」
──あなたが待たされたところと、彼女がいた間には、ロッカーがあり、そういう会話を聞いたとき、精液がついたとピンときませんでしたか。
「はい」
──もし、ホームで捕まえられたとき、足を示して、「あなたが（精液を）つけた」といわれたら、どうでしたか。
「その場で否定できたと思います」
──渋谷警察署で調べがはじまり、あなたは現行犯人として逮捕されましたが、その事実、弁解録取書のことは意識していますか。
「何も説明はありませんでした」
──どういう罪かは。
「何もいわれていません。途中、交番や警察署で、乱暴な刑事から、口汚くいわれて、『精液出したんだろ』『射精したんだろ』とか罵詈雑言を浴びせられました。警察署で取調室に入ったとき、もう、供述調書というのを広げられて、きょう、朝、何時に起きてということからはじまりました」
──取り調べの刑事は、最初、逮捕の説明もなく、事情を聞きはじめたのですか。 「はい。途中で、精液で女性の衣服を汚すのも、器物損壊になるという説明を受けました。あとは何もなく、調書をとりました」
──事件当日付の調書が出ているが、これをとったのですか。
「はい」
──刑事が調書をとったのは、これと、経歴のフリー記者というのを出版社勤務と訂正したものだけですか。
「はい。それ以後、尋問はありましたが、調書はとられていません」
──この裁判の私の相弁護人は、当番弁護士でしたが。
「取り調べの刑事から、弁護士にしりあいはいるかと聞かれ、いましたけど、名前が思い出せませんでした。当番弁護士を呼ぶことができるがどうかといわれ、当番弁護士をお願いし、その日のうちに当番弁護士がきました」
──パンストにつけられた精液は、鑑定に回されるのはしっていましたか。
「警察で唾液をとられました」
──パンストの精液と唾液との血液型鑑定と理解していましたか。
「特定されるだろうと思いました。唾液をとるのは、オブラートのような紙をひとなめする程度で、１カ所をぺろっとなめます」
──ＤＮＡ鑑定があるのをしっていましたか。
「あまりしりませんでした」
ＤＮＡ鑑定というのは、遺伝子を調べることで、単なる血液型検査よりも、飛躍的に精度の高い異同識別ができる。このころから、警察の捜査に広く用いられるようになっていた。
──ＤＮＡ鑑定のことは、だれから聞きましたか。
「兄が小菅の拘置所に来てくれたとき、私が血液鑑定をやってくれればわかるといったところ、兄のほうが一緒だと出るときがあるという会話をしたとき、兄が、ＤＮＡ鑑定だとかなりの確率で特定できる鑑定ができるといいました」
──兄というのは、お姉さんの夫ですが、パンストと唾液の鑑定は、ＡＢＯ式の血液型鑑定で終わっている。どこまでやると認識していましたか。
「ＡＢＯだけでなく、血液鑑定そのものが、かなり確率としてできる。それは、私である、私でないというのが出ると思っていました」
──ＤＮＡ鑑定までいくような感じですか。
「はい」
──血液鑑定結果については。
「東京地検の検察官から、『あなたのものだ』『出たから』という特定ができたと聞かされました」
ＡＢＯ式の血液型鑑定では、パンストに付着した精液と唾液の血液型が一致したのである。
──そのとき、あなたは反論とかはしなかったのですか。
「『そんなことはないはず。もう一度やり直してください』といいました。（検察官は）返事もしませんでした。勾留延長の直前でした」
──全体の調べを通して、パンストだけでなく、（精液は）靴にもかかっていると聞いたことはありますか。
「地検の検事から、相当辛辣に尋問されました。靴にコロイド状についている写真を見せられ、こういうふうに証拠あるから、否認してもしようがない。私の性生活、離婚歴についてもいわれました。パンストよりも靴に点々とついているというので、いろいろ尋問されました」
──辛辣な中身とはなんですか。
「最近、性生活はあるか、離婚して性に不満はあるのか、変態の趣味はあるか、どういう女性が好みかといった内容だったと思います」
──結果的に、靴の斑点は、精液の鑑定ができなかった。鑑定不能というものだったが、調べの段階で聞きましたか。
「検察官によって、地検で検面調書とられて、それが３回ありました。そのとき、さいごっ屁のような形で、『いわれていた靴はどうなりましたか』と聞くと、『あれは精液じゃなかったみたいだね』といっていました」
──もっと調べてとかは。
「靴についてはいっていません」
──調べの間に、被害者はどういう供述をしたかしっていますか。
「内容については、聞かされていません」
──執拗な行為をされたといっている。あなたはしていないんですね。
「していません」
──どうして、ああいう供述になったのですか。
「わかりません」
どうやら、取り調べの段階では、すべてを認めていたようだ。
──勾留のまま、起訴され、保釈されるまで、小菅の拘置所にいましたが、どんな気持ちで毎日過ごしたのですか。
「口ではいえないですけど」
──自分の行為は、駒沢大学から三軒茶屋までのことだけ。起訴状では、身動きできない状態を利用して、最後は射精したとなっています。身に覚えがないことまで、勾留される気持ちはどうでしたか。
「何も聞く耳を持たないというか、ホーム上で逃げることをして、それが現行犯逮捕となったかなとも思いました。『どうなるんですか』と聞いたら、『刑事手続に乗ったのだから、勾留される』。警察に連れていかれました。当番弁護士だけが話を聞いてくれる方。勾留尋問では、裁判官も、『していません』といったら、『はい、勾留』でした」
──勾留は初めての体験ですか。
「はい」
──そのときの精神状態ですが、彼女のことを恨むようなことは。
「客観的には、罪に問われるようなことはしていません。まぎらわしい行為をしたので、自分が悪かったと思ったほうが平静でいられます」
──出版社に勤務しているが、当初はどういう処遇でしたか。
「逮捕、勾留され、翌週、家族を通して会社に連絡しました。その後、３カ月は有給休暇と夏季休暇。その後は欠勤扱いでしたが、裁判の先が長くなるというので、１０月１日から休職です」
──保釈条件に従って、両親の家にいるのですか。
「はい」
質問を終えて、主任弁護人が、「被害者がいうような行為をやるとすれば、どのような姿勢になるかを見てほしい」と、裁判長の許可を得て実演をする。「私が１６０センチぐらい。私が被害者のかわり」になり、被告との間でやってみる。すると、被告は相当足を曲げなければならない。このような姿勢では、周囲の乗客に気づかれるはずというのが、弁護側の主張の１つだった。
相弁護人が続いて、質問する。
──被害者との密着はいつですか。
「駒沢大学駅で乗客が乗り込んで、ドアが閉まる段階ですが、自分でそうしたことはありません」
──体は完全に重なり合うように密着したのですか。
「はい」
──陰茎はお尻に密着したのですか。
「はい」
──体をずらそうとは思いませんでしたか。
「少しは考えましたが、ある程度、周囲の混み状態からも、無理のようでした」
──女性がずらそうとすれば、どうですか。
「可能だったと思います」
──右手を腰にそえた意味は。そうしないと、陰茎が維持できなかったのですか。
「そうではありません」
──興奮して、自然に手をそえたのですか。
「はい」
──女性の反応は、手を添えたことで。
「私は感じていません」
──強力に、右手で女性の体を固定するようなことだったのですか。
「密着をより自分なりにというか、そのことで、態勢がどうのというものではなく、手が遊んでいる状態です。興奮して、手が出ちゃいました。抵抗を阻止する意味ではありません」
もう一度、主任弁護人が聞く。
──警察に勾留のとき、弁護士を通じて、示談の話を持ち込まれましたか。
「ありました」
──被害者がどういうことを恐れていたか、聞いていますか。
「聞いていません」
──あなたは、詫び状に署名していますが、その中に、被害者を探したり、面会することは絶対しない。あなたが家を移るなどとありますが、被害者は、あなたが彼女をつけてきて、こういうことをしていると思ったのですか。
「詫び状は母がつくったもので、私は実際に新たに住む家を探していました」
──すべてを認めて示談して、事件を済ませたほうがいいとは思いませんでしたか。 「代々木警察署に勾留中はありました」
──それを選択しなかったのはなぜですか。
「当番弁護士から、やっていないことまでやったということはないといわれ、家族や友人の応援の中で、だんだん気持ちが固まってきました」
──ＤＮＡ鑑定を、私が申請するとき、もし、鑑定の結果、あなたということになれば、弁護人としては、いかに不名誉なことかと念を押した。それでも、やってほしいと、あなたは望みましたね。
「はい」
続いて、検察官も質問する。
──被害者の証言は首尾一貫している。そろそろほんとのことを話したらどうですか。ずっと、ほんとうのことをいっていますか、意図的に隠し事をしていませんか。
「おりません」
──肉体関係のある女性はいましたか。
「答えたくありません」
──逮捕当時、性生活で満足していましたか不満でしたか。
「とくに不満は抱いていません」
──（駒沢大学駅で）被害者の背後に立ったとき、勃起したことは間違いありませんか。
「はい」
──背後にいたとき、左手はどこにありましたか。
「駒沢大学駅では、左腕を、顔の中間前方。手には文庫本を持っていました」
──そんな不自然な格好でしたか。
「とくに理由はありません。読んでいて、どっと乗客が入ってきました」
──勃起したとき、左手は。
「下ろしていました。そのとき、文庫本をポケットに入れました」
──両手で被害者の腰をつかんだことは。
「ありません」
続いて、裁判官が尋ねる。
──被害者が振り向いて、あなたの顔を見ようとしたことはありませんか。被害者は顔をそむけたといっていますが。
「ありません」
──事実は、被害者のいい分と随分違う。すると、被害者はうそをいったのですか。
「そう思います」
──なぜ、被害者がうそをいうのか、心当たりはありますか。
「その心理までわかりませんが、人間違いだということを、自分ですでに気づいているか、気づいていないかしりませんが、なぜ、そういうのかわかりません」
──電車の中で一度も離れたことはないと、被害者がいっているが、それもうそですか。
「はい」
──会社は、現在、休職中ですか。
「はい」
──今後、どうしますか。
「休職は３月までの半年間で、判決を待ちます。その後の扱いはわかりません」
──被害者に対しては、法廷でうそをつかれて、非常に迷惑をかけられている。そういう気持ちですか。
「はい」
１１月８日の公判では、弁護側の情状証人が３人出廷した。
まず、被告の同僚で友人が証言する。
「金曜日の段階で、突然、会社にこなくなった。当時、井の頭公園のバラバラ殺人があったので、ものすごく心配した」「かれの部屋には、ビニ本、エロ本、女性の下着などはなかった」
「お母さんから逮捕されたことを聞いたとき、示談で済むものだったら、示談で終わらせてほしいといった。かれ、個人で終えれば、会社に波及することもない。しかし、かれは拒んだ。裁判を続けた。会社をやめなければならない。人生設計が崩れるのに、やっている。これからも友人としてつきあっていく」「非常にやさしい人間で、うそをつかない」
続いて、ＤＮＡ鑑定のことを教えたという被告の義兄が証言する。
「逮捕をしったのは、２４日の夕方、代々木警察署からの連絡だった。２５日に面会した」「いままで、かれが築いてきた社会的地位、それらを犠牲にしてまで、こういうことをする人間ではないと信じている」
最後に、被告の母親である。
「逮捕をしったのは、２２日の金曜日に、会社の上司から、息子と連絡がとれないという。夕方、びっくりして息子のところに電話したが、留守電。息子の家に飛んでいき、どこか風呂場で引っ繰り返っていないかと、ところ、いなかった」
「逮捕をしってから、弁護士に相談した。被害者と話し合って解決をと、詫び状の案文も書き、お金も１００万円を用意した。事の真相もわからずに無我夢中でやった。とりあえずは、会社にしれないうちに、話がおさまればおさめてほしい。しかし、そうはならなかった。よくよく聞いてみたら、本人が否認しているから」
「代々木警察署で面会したとき、ただ、顔をみて泣いていただけ」「私の教育がどこかで間違っていたと、いつでも、考えていた。ああいうことをしたとは信じられませんでした」「これから、お勤めにいく娘さんを汚すような破廉恥なことをするわけがないと思う。示談にお金が必要ならば、どんなことをしてでも用意します」
さらに、弁護側は、警察で被告を取り調べた刑事の証人申請をした。
被害者が犯人と断定しても、真犯人ではなかったケースもある。車内のしつこい痴漢行為は常習的である。ならば、常習性を明らかにするためにも、被告の家宅捜索が必要と思うが、行っていない。
また、陰茎を出して、射精したならば、自分の服にも精液がつくはずだ。それの捜査をなぜしないのか。検察官は、当初、「靴まで精液でびしょびしょ」といっていた。
しかし、精液ではなかったようで、それに伴い、被害者の供述も変わっている。
このような証人申請の理由を列挙したが、裁判官は却下した。
また、パンストに付着した精液は血液型鑑定に使用したが、かすかに残っている資料によるＤＮＡ鑑定を請求したが、これも却下された。
１１月２４日、検察官が論告する。
被害者は、「手が身体から離れたことはなかった」「ほかの人と取り違えることはない」と述べ、器物損壊は、被告以外にはない。被告の供述は、捜査段階と公判段階は違い、公判での供述は一片の信用性もない。自己の快楽のみを追求し、犯行態様も悪質であり、器物損壊はとりわけ、精神的に強姦されたのと同じである。常習性がうかがえ、処罰を免れようと、弁解にきゅうきゅうとしている。
そして、懲役１年を求刑した。
弁護側も最終弁論を行った。被告人質問のとおり、被告は三軒茶屋で一度下車し、被害者から離れて乗った。渋谷駅までの間に被害者に射精などをしたのは別人であるなどと無実を主張した。
被告も、「法廷の求める真実と、みずからの良心に誓って申し上げます。第１回の公判で、申し上げていますように、駒沢大学駅から三軒茶屋駅間で、臀部に膨らんだのを押しつけることはしました。それだけで、局部をなで回し、スカートをまくりあげ、ましてや、射精したことは、私はしておりません。信じてください」と、冷静なやさしい声で述べる。
１２月２０日、判決の日である。２０席弱の傍聴席は、母親、会社関係者で満員だ。被告は白い背広姿で証言席の前に立つ。判決は、強制わいせつ、器物損壊で、懲役６月の実刑であった。
４月の金曜日午前８時１４分から８時２２分までの間、駒沢大学駅から渋谷駅間で、被害者を背後から両手で腰部をおさえ、スカートをまくり、射精し、パンストを汚した。被害者は、渋谷駅で降りたとき、「あなた、何をやったの。冗談じゃないわよ」とジャケットの袖をつかんだ。被害者の供述は、具体的かつ詳細である。ことさら、被害を強調したり、歪曲していない。十分に信用できる。
一方、被告の供述は変遷し、逮捕当日の弁解録取書では、職業はうそであった。犯行は破廉恥の一語につきる。女性に与えた精神的影響は大きい。実刑は免れない。
このような理由であった。閉廷すると、検察官が被告のところに近寄り、「保釈が失効したので、これから収監手続をしますので従ってください」と伝える。母親は廊下で泣いていた。すぐに、控訴と保釈の手続をとったようだが、最終的な結果はフォローしていない。
（２００１年５月２７日掲載、登場人物は仮名、著作権者・サクマ テツ）
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SAKUMA TETSU
フリーライター
著書［恐るべき証人］［検死解剖マニュアル］［拳銃天国ニッポン］など