佐久間 哲
ニッポンリポート
法廷編
警察官覚せい剤使用事件
０１年１０月２６日、東京地方裁判所の４１０号法廷で、検察官よりの傍聴席最前列に座った奥さんは、下を向いてすすり泣いている。入廷してきた被告の顔も見ない。手錠、腰縄つきの被告は中肉中背、黒いズボン、濃紺のジャンパー、髪はくしをいれないようで、ぼさぼさした感じである。何かおどおどしたようすだ。
単独審の裁判官が着席し、証言席の前に立った被告は、直立し、両手を体の脇につける。裁判官から人定質問を受ける。
山田一郎、１９６０年４月生まれ、本籍は大阪市、住所は、逮捕時、千葉県千葉市花見川区幕張、現在は千葉市花見川区花園、職業は懲戒免職されて無職。
山田は立ったまま、検察官の読み上げる起訴状を聞く。
山田は、０１年８月１０日ごろ、千葉市内の自宅で、覚せい剤若干量を含んだ水溶液を飲用し、もって、覚せい剤を使用したというものである。覚せい剤の自己使用ということだ。「いま読み上げられた事実は間違いありませんか」と裁判官が尋ねる。「まったく、そのとおりです」と山田が答え、弁護人も、被告と同意見だと述べる。
山田は、弁護人席前の被告人席に戻る。山田の位置からやや左斜めの方向には、妻が座って、依然として泣いている。続いて、検察官が次のような趣旨の冒頭陳述を行う。
山田は鹿児島県で出生し、名古屋で高校、私立大学法学部を卒業した。８３年５月、警視庁巡査となる。警視庁本部、葛西署、上野署、本田署に勤務し、００年２月から、高輪署地域課に勤務する。０１年８月２４日、懲戒免職となった。妻と１女１男がいる。前科前歴はない。
９３年３月、警部補に昇進後、９３年１０月ごろ、東京・上野駅近くで、イラン人と思われる外国人から、覚せい剤を購入した。以後、９４年、上野公園近くで、イラン人と思われる外国人から、３回にわたり、覚せい剤を購入し、使用した。
以来、断続的に使用するが、０１年７月２８日ごろ、東京・渋谷の１０９ビルの地下で覚せい剤を、イラン人と思われる外国人から購入した。さらに、８月７日まで、ザパタと名乗る男から３回にわたり、５袋を購入して使用した。８月９日も、１０９ビルの地下で、ザパタから２袋を購入して、８月１０日に使用した。
発覚の経緯は、山田から元上司に連絡があり、元上司から高輪署に通報された。山田は尿を任意提出し、検査した結果、覚せい剤を検出したというものである。
弁護人は、検察官の請求した証拠にすべて同意し、検察官はその要旨を告知した。
甲号証としては、山田はご飯茶碗に水道水を入れ、そこに買ってきた覚せい剤１袋分を全部入れ、混ぜて一気に飲んだ。そのご飯茶碗を押収したこと。
元上司の調書では、山田は本田警察署時代の部下で、住まいが近く、家族ぐるみのつきあいをしていた。山田は心因反応という病気で、職場をちょくちょく休むことがあった。０１年６月から、高輪署で車庫証明の係をやっていた。山田との間では、「大丈夫でしょうか」「車庫係なら大丈夫」といったやりとりがあった。
８月１０日午後１時すぎ、山田から職場に電話があった。「どうしても話したいことがある」というのである。自宅近くのレストランで会うことにした。山田が非常に汗をかいている。
「管理官（元上司）にしかいえませんが、実は、覚せい剤を家で飲みました。警察をやめようと思う」と打ち明けられる。その際、密売人の電話メモも渡された。山田の自宅へ行って、どのようにして覚せい剤を飲んだか教えてもらったが、テーブルの上にあった砂糖一杯分ぐらの量をスプーンですくってみせた。
その後、山田の高輪署の上司に電話をかけ、逮捕に至ったということ。
上司の調書では、山田の勤務状況だが、心因反応という病気があったが、それも順調に回復し、健康そうに思えた。８月ごろになって、また、山田の体の調子が悪くなってきた。８月１１日ごろ、山田が覚せい剤を使っていると、元上司から連絡があり、山田と一緒に警視庁本部に行き、山田は逮捕された。職場では、とくに変わったこともなく、覚せい剤を使用していたとは非常に驚いた。ただ、職場の人間関係に悩んでいたことは聞いていたということ。
妻の調書では、覚せい剤を使用しているのはまったくしらなかった。心因反応で、何度か職場を休んでいた。０１年６月ぐらいから、「近いうちに、職場にコンピュータが導入されるが、使い方がわからない」と気にしていた。
８月になってから、特に異常はなかったが、８月８日、職場でようすがおかしくなったと、家に帰ってきた。８月９日、病院に行き、「２カ月ぐらい休むように」と勧められたが、「大丈夫だ」といっていた。
８月１３日、覚せい剤のことを聞いた。８月に入って、「女性が入ってくる」「宿舎の街灯が消える」などといったが、心因反応のせいだと思っていた。覚せい剤を使っているとは思わず、自分で仕事を抱える性格で、そのため、心因反応になったのではないかと思うということ。
山田の姉の調書では、山田の父親も警察官だった。そのためか、非常にしつけには厳しい家庭に育ったと思うということ。
山田の母の調書では、山田の性格はやさしく、親孝行で、気の弱いところもある。７月２５日、一緒に旅行し、一泊した。そのとき、テレビを見ていたということ。
乙号証としては、山田の調書で、当時、車庫証明の仕事をしていた。人間関係がうまくいかず、コンピュータのこともあった。また、覚せい剤を使ってみればと思った。
７月２８日、渋谷で覚せい剤を購入した。渋谷に行ったのは、母親と旅行したとき、渋谷で覚せい剤を買えるという番組をテレビで見たからだ。その後、５回、覚せい剤を買った。８月１０日に最後に使った。１袋を全部入れて飲んだ。残りの１袋はトイレに捨てて、元上司に連絡した。
起訴事実を全面的に認め、証拠もすべて同意したため、検察官の立証は終わり、弁護人が情状証人として山田の妻に証言を求めた。髪はやや茶色がかり、濃紺のスカート、薄茶の上着で、かすれ声だ。聞いている山田も、鼻をすすり、ハンカチでかむ。
２人は大学在学中にしりあい、８４年６月に結婚した。長女は１５歳で高校１年、長男は１２歳の小学６年で、私立中学受験を目指している。
弁護人 被告の性格は。
妻 まじめで、やさしくて、とくに子煩悩だったと思います。
弁護人 若干、気が弱いのか。
妻 心因反応と、病院からいわれたが、そういうふうになったのも、気が弱いところがあったからとは思います。
弁護人 生活態度、勤務態度はどうでしたか。
妻 会社の人間関係などで悩んでいるようすはわかっていました。やる気が起こらず、寝たり起きたりの状況でした。
弁護人 普段は、まじめで仕事熱心か。
妻 そうです。
弁護人 ９６年ごろ、心因反応という病気が出た。０１年３月ごろ、８月ごろ、また悪くなった。その症状は。
妻 家で寝る時間が多かったです。
弁護人 妄想が出るとか、うつ状態は。
妻 そういうのが出ていました。
弁護人 心因反応に陥る原因で、人間関係以外はどうですか。
妻 そういう絡みで病院に行きました。心因反応といわれたとき、素人ですので、それを信じて、見守ることしかできませんでした。
弁護人 導入されるコンピュータのことを心配していた。大分、悩んでいたか。
妻 以前から、職場のストレス、人間関係のことも、私にいっていました。
弁護人 覚せい剤使用をしらなかったというが、全然気がつかなかったのか。
妻 はい。
弁護人 態度にちょっとおかしなところが出てきたか。
妻 それで、警察病院にかかっていました。最初、うつ病と診断されたとき、千葉のほかの病院にかえましたが、そこでも同じ見立てでした。
弁護人 被告が、「女性が部屋に入ってきた」「団地の灯が消えた」とかいった。また、下半身裸で部屋にいた。アダルトビデオを見ていた。このことは気づいたか。
妻 ８月の段階で、息子から聞きました。私は仕事を持っているので気づきませんでした。
８月２４日、懲戒免職され、住んでいた官舎を出ることになった。月末には、同じ区内の２ＤＫのアパートに引っ越す。
弁護人 ６畳と４・５畳、ちょっと狭い。被告が将来家族のもとに帰りたいといっているが、ここで住めると思うか。
妻 住居を探すつもりでいます。
弁護人 こどもは精神的打撃を受けた。今後、こどもは被告を受け入れられるか。
妻 いまのところ、まだ事件から２カ月ぐらい。こどもに話しかけましたが、娘も１６歳、家族もストレスがたまっている状態で、いまは主人のことを口にしたくないのが、こどもの気持ちみたいです。徐々に、月日が解決してくれると思います。
弁護人 被告も家族のことを心配している。今後、間違いないように、指導、監督できるか。
妻 二度としないように、本人も努力していくことだと思うし、私自身も、ささえていきたい。
弁護人 被告の仕事のめどは。
妻 ありません。
続いて、検察官、裁判官が質問する。
検察官 病気のことだが、うつ病と診断されて、おかしいと。あなたは病気ではないと思ったのか。
妻 うつ病に関して、症状自体が……。私も介護職をしているので、勉強会や本を見て、症状自体はちょっと違うのではないかと。警察病院にも検査してくださいとお願いしました。
検察官 病気の原因は、何と思ったのか。
妻 職場のストレス、人間関係も含めて。耐えていけなかったのかなと思いました。
検察官 覚せい剤との関係があるかとかは。
妻 ストレスからきているのかな。そういう絡みで、覚せい剤に走ったのかなと思います。
検察官 心因反応の原因は覚せい剤だとは。
妻 そうは思いません。
検察官 事件後、被告と何回か面会はしたか。
妻 はい。
検察官 今後の仕事の話は。
妻 そこまではしていません。
検察官 まず、この事件のことか。
妻 そうです。
裁判官 家族の生活は、どんなところが大きく変わったか。
妻 私は変わりませんが、こどもの学校の友人関係です。こういう犯罪にかかわったとき、ほんとに警察のほうから、いろんなつらい言葉を、私はいわれたし、主人の犯罪は、私自身にも落ち度があったのではないかと、最近、考えるようになりました。
裁判のテンポは早く、この日、被告人質問も行われた。
弁護人 覚せい剤の使用歴は、９３年１０月ごろ、上野で、イラン人と思われる外国人から購入し、使用した。最初から、水に溶かす方法。快感あったか。
山田 快感もありました。スーッと体の疲れがとれちゃいます。あとで、脱力感がありますけど。
弁護人 ９５年は６カ月間、使用。その後、ことしの７月まではずっとやめていた。その後、また、使用。心因反応は、９６年ごろ、発症した。覚せい剤との関係は。
山田 捜査の調べでは、（うつ病は）多分間違いで、覚せい剤の後遺症で、あんたは正常だといわれました。
弁護人 覚せい剤の影響が大きかったと。００年３月ごろ、再発したのか。
山田 覚せい剤はやっていませんが、喜怒哀楽（がない）というか、何をやっても楽しくなく、不眠症になりました。２時間も寝たら、目がさめて、眠れなくなりました。
弁護人 ことしの８月ごろ、再発したのか。
山田 車庫証明の係のほうにコンピュータが導入される予定になり、コンピュータは全然わからない。どうしてもできない、どうしよう、どうしようかと考えました。
弁護人 症状は。
山田 睡眠薬を１錠飲みました。その後、倍の２錠にして、やっと寝れました。
弁護人 妄想は。
山田 とくになく、不眠が主です。
弁護人 ことしの６月ごろ、交通課車庫証明係で、人間関係がうまくないということは。
山田 ありました。
弁護人 係にコンピュータを導入するという話があった。操作がうまくできないんじゃないかと不安になった。
山田 以前、鑑識のとき、（できなくて、部署を）かわっているので、同じことになるのではないかと思いました。
弁護人 妻から、「何度も病気になるようなら、別れてくれ」と。
山田 ００年ごろからいわれました。
弁護人 それで、覚せい剤使用。
山田 逃げちゃった意味で。
０１年７月２５日、山田は母親と一緒の旅先で覚せい剤に関するテレビを見たという。その日の番組表を見ると、民放テレビで、午後７時５４分から、それらしき番組が放映されている。「真夏の渋谷潜入、詐欺＆覚せい剤＆出会い系サイト＆ナンパ＆公園のぞき」などと内容が書いてある。これしか見当たらない。
それにヒントを得て、７月２８日、山田は、渋谷の１０９ビルに出かけたのだ。１０９ビルは東急百貨店本店と道玄坂の分岐点に立つビルである。女性用の店が多い。地下は、駅への地下道につながっているが、思ったより人通りは少ない。公判では言及されなかったから定かではないが、多分、ここが覚せい剤の受渡し場所になったのであろう。１袋（０．３グラム）で１万５０００円程度だった。
弁護人 覚せい剤を使用すると、快感を感じる。幻覚は。
山田 あります。
弁護人 ことしの８月ごろは。
山田 そのときもありました。それ以外も、覚せい剤を使ったら、鈴の音が聞こえてきたり、ありました。
弁護人 使用後は。
山田 切れてくると、ああ、また、やってしまったと反省します。
弁護人 覚せい剤は怖いものとは思わなかったのか。
山田 十分、感じたからこそ、管理官に相談に行きました。
弁護人 現在、どう考えているか。
山田 私の行ったこの行為で、国民の信頼を失わせてしまったと、独居房で反省するとともに、二度と覚せい剤を使用しないことを、この場で誓います。
弁護人 今後、家族と一緒に暮らしたいのか。
山田 とりあえず、仕事を見つけて、立ち直ってから一緒に暮らしたい。お年寄りが好きなので、老人ホームなどの施設で、介護の仕事をしたいと思っています。
弁護人 住まいは。
山田 一定の収入が入ってくれば、もう少し広いアパートに移ったり、両親も体は、今は大丈夫ですが、ゆくゆくは両親のもとに帰って、一緒に暮らしたいと思います。
検察官、裁判官の質問に移る。
検察官 心因反応は覚せい剤のせいか。
山田 私もそう思います。
検察官 あなたがやったことが、国民の信頼を裏切ることになる。あなた自身だけの問題ではない。あなたの責任は重い。あなたの覚せい剤の使い方は非常に連続している。１回に使う量も０．３グラムとかなり多い。どうしてか。
山田 （覚せい剤を）お茶碗に入れても、あまり溶けないので、ずっと混ぜて飲む感じです。１袋入れて全部飲みました。はじめ、溶けないから覚せい剤じゃないのではないかと思って、全部入れました。
検察官 そんなにいっぱい飲んだら、死んでしまうのでは。
山田 そういわれたとき、ああ、そんなものかと思いました。
検察官 覚せい剤を使うことの理由は。
山田 快感を得たい。量が多いほうがいいと考えて、死ぬとか、そんなことまで考えつきませんでした。
検察官 密売人はどうなったか。
山田 写真２枚で、買った人を特定できました。
検察官 これから先、あなたの責任をどうとるか。生活環境も大きくかわる。そういう中で、摩擦もある。覚せい剤に逆戻りすることはないか。
山田 それはありません。誓えます。
検察官 なかなかやめられない人がいるが。
山田 意思の問題です。
裁判官 一番最初、覚せい剤を使ってどうだったか。
山田 酔った勢いでした。アルコールが入っていました。最初、テレホンカード（を買わないか）といわれました。
イラン人薬物密売の日本での暗躍史をたどると、最初は、暴力団と組んだ偽造テレホンカードの売買から発している。しかも、上野といえば、悪徳イラン人が縄張りとしていた場所でもあった。
裁判官 覚せい剤を使用するとき、躊躇はなかったのか。
山田 最初は手が震えました。
裁判官 やめて、捨てればいいのに、やめられなかったのか。
山田 意志が弱くて、済みません。
裁判官 ９５年はどうして使用したか。
山田 そのとき、もう一度快感を得れるかなというのもありました。
裁判官 今回、７月から８月に使用した。昨年ぐらいから、警察官とか元警察官が覚せい剤を使った事件報道があったが。
確かに、神奈川県警の覚せい剤使用警官を組織ぐるみで隠蔽した事件、福岡県警でも警察官が自己使用、千葉県警の警察官も自己使用、警視庁の警察官は所持で逮捕など警察関係者の事件が発生している。
山田 しりませんでした。取調官にも、「何だ、しらないのか」といわれましたが、ほんとにしりませんでした。
裁判官 それ以外にも、警察官の不祥事があって、警察は国民の信頼を取り戻そうとしていた。自分に重ね合わせるとどう思うか。
山田 職責の自覚が足りなかったと反省しています。
裁判官 あなたの捜査にかかわった人たちの気持ちは。
山田 同じ仕事仲間から、私みたいなのがいて、相当やりづらかったと思います。
この後、直ちに検察官の論告が行われた。情状について、犯罪を取り締まるべき警察官の犯罪であり、悪質である。覚せい剤の常習性、親和性、依存性が強い。幻覚も出るなど、相当覚せい剤におぼれていた。刑事責任は重い。求刑は、懲役１年６月であった。
さらに、弁護人も最終弁論を行う。起訴事実は争いがない。被告の自白で発覚したものであり、心因反応で同情すべき事情もある。また、懲戒免職となって社会的制裁も受け、養育すべき２人の子供もいる。改悛の情は顕であり、執行猶予つきの寛大な判決を求めた。
山田は。「覚せい剤については二度といたしません。また、国民の信頼を失ったことを深くおわびいたします」と述べて、結審した。
この日、１時間５分ぐらいの審理時間で閉廷し、０１年１１月９日、２回目の公判で、判決となった。覚せい剤の自己使用の初犯は執行猶予というのが通り相場だといわれているが、山田への判決は、懲役１年６月、執行猶予４年であった。
判決を終えて、裁判官は、「本田警察署時代に書いたあなたの作文も読ませてもらったが、犯罪行為に対する（警察官としての）強い誓いがある。仕事ぶりはまじめ。まじめだからこその犯罪ともいえる。あなたの努力で更生することを期待する」とつく加えた。
判決を終えて、白いトレーナーの山田は、年配の弁護人のところに近寄り、「ありがとうございました。改めてお礼にうかがいます」と頭を下げた。手錠も腰縄もなく、退廷していった。
（２００１年１２月１日掲載、登場人物は仮名、著作権者・サクマ テツ）
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SAKUMA TETSU
フリーライター
著書［恐るべき証人］［検死解剖マニュアル］［拳銃天国ニッポン］など