佐久間 哲
ニッポンリポート
法廷編
覚せい剤密輸中国ルート事件（上）
香港に居住する王泊道（５４歳）を主犯格とする中国人覚せい剤密輸グループは、９８年３月、金属用工作機械のボール盤３６台に約３００キロの覚せい剤を隠匿し、香港から貨物船で日本に密輸した。
そのボール盤は、成田空港近くの千葉・大栄にある貸し倉庫で解体され、取り出された覚せい剤は売りさばかれた。３カ月後の６月にも、ボール盤３３台に隠した約２２０キロの覚せい剤の密輸に成功する。
さらに、２カ月後の８月、３回目の密輸を行う。今度は約３００キロの覚せい剤をボール盤３５台に隠匿していた。
８月１２日、香港を出港したパナマ船籍の貨物船は、８月１７日午前９時３０分ごろ、東京・大井埠頭に接岸した。同日午後２時３０分ごろ、陸揚げされ、２１日、東京・江東の貸し倉庫に運び込まれる。翌２２日、王の配下ら３人が倉庫にあらわれ、ボール盤を解体し、覚せい剤を取り出しはじめた。
しかし、その作業中、千葉県警、東京税関が踏み込み、かれらを逮捕する。コントロールド・デリバリー（ＣＤ）で、倉庫は見張られていたため、３回目は失敗に終わったのである。
ＣＤとは、麻薬特例法によって認められた捜査手法で、捜査当局が密輸の過程で違法薬物の存在を把握しながら、税関の特例通関手続により、その違法薬物を監視下に置き、事件関係者を特定し、一網打尽に逮捕するものだ。
発見した違法薬物をそのままの状態にして監視する場合をライブＣＤ、中身をすりかえて行うものをクリーンＣＤという。
ライブＣＤで逮捕された３人の裁判は、千葉地方裁判所で行われた。９８年１２月４日、初公判が開かれ、中国人の男２人、女１人の３人の被告のうち、１人は全面的に認め、１人は認否を留保し、女１人は、「ただ、倉庫を手配して、通訳をしただけ」などと全面的に否認した。このため、女は分離公判となる。
９９年３月１７日、男２人組の第２回公判が開かれ、被告人質問が行われる。郭明昌被告（２６歳）は、覚せい剤取締法違反（営利目的所持、密輸）、関税法違反で起訴された。
坊主頭で黒いセーターに青色ジーパン姿だ。やせ型で、１７０センチぐらい。香港に住み、運送会社で自動車の運転手をしていた。喧嘩で５カ月間の少年院入所歴があり、２４歳のときにも、喧嘩で３カ月の懲役判決を受けている。
証言席についた郭に対し、弁護人が質問する。
──覚せい剤を王と共謀して輸入したことはありますか。
「ありません」
──覚せい剤を所持していたことは、そのとおりですか。
「はい」
密輸については否認である。
主犯格の王とは、９７年６月ごろ、香港でしりあった。その数カ月後の１０月ごろ、「日本に行って、自分のために働かないか」と誘われる。王が渡航費用を出し、１２月５日、来日する。
日本にきてからは、毎月２０万円の生活費をもらう。
──日本にきて、最初、王の仕事のどのような手伝いをしましたか。
「借りた倉庫の家賃を払うことです」
千葉・大栄にある倉庫の使用料を払う役をしたのである。
──今回を含めて、３回、同じような倉庫での仕事に参加していますか。
「はい」
──１回目、機械を分解しましたが、覚せい剤とはしらなかったのですか。
「はい」
──覚せい剤としったのは、どの段階ですか。
「機械を取り外したときです」
１回目、倉庫で機械から覚せい剤を取り出す仕事は、郭、もう一人の被告である劉世学（２４歳）、ジャッキーと呼ばれる中国人の３人で行った。
ボール盤を解体して、その支柱からビニール袋に入った覚せい剤を取り出し、はかりで、１キロずつ小分けし、チャックつきのビニール袋に入れなおす。全部で約３００キロの覚せい剤を８個のスーツケースに入れて運び出し、王らに渡した。
機械から取り出したとき、郭はすぐに覚せい剤とわからなかった。ジャッキーがその中から取り出した白い粉を銀紙にのせ、下からライターで加熱して、それを吸ったので、覚せい剤と気がついた。
──覚せい剤とわかったとき、この仕事から手を引こうと思わなかったのですか。
「そう思いましたが、やめようとしたら、ジャッキーに危害を加えられるおそれがありました」
──危害とは、どういうことですか。
「傷つけたり。しかも、王が近くにいるかもしれないという危惧もありました」
──２回目は６月ですが、そのときはどう思いましたか。
「王が、つねに私と一緒に行動したり、私の旅券がオーバーステイなので離れられません。やるしかありませんでした」
──勇気をもって、断ろうとは思いませんでしたか。
「私も王に対して、やめようと示唆したことがありましたが、脅されました」
５月ごろ、新宿のレストランで食事をしたときだった。
──王はどのように脅したのですか。
「あなたはすでにオーバーステイで、自由に日本を離れることはできない。私のやっていることもしっている。やめるとひどい目にあわせるといいました」
──今回も、そういう恐怖感がありましたか。
「はい。もう一つは、これが最後だと、王から承諾を得られたからです」
──７月下旬ごろ、大栄町の倉庫に何個ぐらい機械が置けるか見てこいと、王からいわれたことがありますか。
「はい、あります」
１回目、２回目で使用した倉庫のことだ。もし、この倉庫が使えれば、今度も使う予定だった。郭と劉は、新宿のＪＲ大久保駅近くの雑居ビルの一室に住んでいたが、２人で倉庫を見にいく。１回目のとき、覚せい剤を取り出した後、分解した機械を別の倉庫に移し、覚せい剤の入っていたビニール袋などを燃やした。倉庫をきれいに整理して、２回目の受け入れ準備をした。しかし、２回目の作業後は、そのような整理をしなかった。
そのため、２人が倉庫のようすを見にいくと、乱雑のままであり、とても新しく機械を受け入れて、解体作業をする余裕はなさそうに思えた。劉が、「どうするか」と尋ねると、郭は、「ボスに報告し、別の倉庫を探してもらえばいい」と答えた。
８月１７日、大井埠頭に船が着く。その後、２人は、「そろそろ荷物がつくから、あちこち出歩くな」と王から指示される。
──８月１９日昼ごろ、新宿の中華レストランで食事をしたとき、「２１日に荷物が届く。あす、通関手数料を払いにいけ」と王からいわれましたか。
「はい」
──このようにいわれたのは、前回、前々回、ありましたか。
「１回目はありませんが、２回目はありました」
──その納め方はどうするのですか。
「ただ、銀行のカウンターに行って、振り込みを頼むだけです」
８月２０日の朝、王から郭に電話があり、新宿駅前の喫茶店で会う。郭は、王から荷物を運び込む新しい倉庫の地図をもらい、通関業者に配送先をしらせるため、コンビニからファックスする。また、通関手数料のための現金を渡され、２回目と同じように、都市銀行の新宿支店に行って振り込む。
この荷物の送り主は、香港の架空の会社名を使ったと見られ、荷受人は、日本の実在の会社だが、事件とは関係なく、その電話番号欄には、王らが依頼した第三者の携帯電話番号が記入されていた。
──倉庫で荷物を受け取ることを頼まれたようですが、具体的には、どうしろというのですか。
「倉庫にいって、荷物を運んでくるトラックを待つことです」
──王から指定された倉庫に行き、荷物がくるのを待って、受け取りのサインをするだけですか。
「はい」
８月２１日の朝、郭は池袋駅近くの喫茶店で王と会う。以前、新宿の歌舞伎町の付近にある王の賭博場で会った林という中国人の男もいた。王の説明では、林が通訳を紹介してくれるということだった。
１回目、２回目の倉庫には、管理人はいなかった。日本人との接触は、ただ、荷物を受け取るとき、サインするだけで済んだ。そのため、通訳は必要なかった。今度借りた倉庫には、管理人などがいるため、通訳してくれるのだろうと思った。郭も劉も日本語が話せない。
王との話が終わり、郭は林と喫茶店を出て、１５分から２０分歩くと、女が自転車に乗ってやってきたのに出会う。通訳の謝玉林（３８歳）であった。
謝は初公判で全面否認し、分離公判となった女だ。謝の弁解を聞くと、通訳として登場するまでの経緯は、次のようなことであった。
謝は中国・蘇州で生まれ、上海で学び、就学生として来日して十数年たつ。この間、日本人男性と結婚した。その後、別居したが、中国の実家に預けている９歳ぐらいの女の子がいる。東京・池袋で中華料理店を経営していた。
９８年７月下旬、中国人の常連客が林を店に連れてきた。林が次に店に顔を見せたのは、８月上旬のことだ。このとき、「倉庫を借りたいのだが、しっていますか。それから、日本にあまり友人がいないので、倉庫を借りるために、あなたの会社の名前を貸してくれませんか。もちろん、お礼はする」と持ちかけられた。謝は、料理店とは別に会社を持っていた。税金関係とコックのビザをとるためなどに設立したものだ。「気をつけて探してみます」と答えた。
林の話では、彼は中国からモーターを輸入する仕事をしている。しかし、日本では中国製モーターは高く売れない。そこで、輸入後、モーターの製造者名などが書かれているラベルを、日本製と表示しているものと取り替え、日本製と偽って高く売るのだという。その取り替え場所として、倉庫が必要なのだと説明した。
その後、しばらくして、林から、「新宿の不動産屋に一緒に行ってくれないか」という電話が入る。いい倉庫が見つかったというのだ。そこで、謝が一緒に不動産屋に行き、倉庫の賃貸契約に必要な書類に記入して渡すと、「外国人はだめです」と断られる。
再び、林から連絡があったのは、貨物船が大井埠頭に接岸し、荷物が陸揚げされた８月１７日だった。「急いで、倉庫を探してほしい」。謝の頭に思い浮かんだのが、運送会社をやっている知人の日本人のことだ。倉庫のことにも詳しいだろうと、翌１８日、連絡をとる。
「必要な広さはどのくらいか」と尋ねられ、答えられない謝は、林に問い合わせる。「お棺ぐらいの大きさのものが３０個ある」といわれ、そのまま、日本人に伝える。ボール盤の入った木箱１個の大きさは、縦６７センチ、横８２センチ、長さ１８０センチで、ちょうど棺桶ぐらいだ。
それを聞いた日本人は、「２０坪ぐらい」と即座に計算し、東京・江東にある貸し倉庫を紹介してくれた。
林は、「一緒に倉庫を見にいこう」と誘い、その日、謝と２人で倉庫の下見に行く。倉庫の管理人から貸し倉庫のスペース、営業時間、残業時間などの説明を受けたが、「２０坪じゃ、ちょっと足りない。３０坪はいる」と林がいうので、謝は通訳して、そのような手配をしてもらう。
また、林によると、「１０日か２週間で作業は完了する」ので、１０日間で賃貸料１８万円、延長も可能という契約をかわした。林は賃貸料として５０万円を謝に渡す。謝は、賃貸料を支払った残りが自分の報酬と理解した。
２１日朝、林から謝に電話があり、「きょう、荷物が入る。池袋の北口で、ある人と待ち合わせしてほしい。日本語があまりできないので、倉庫に一緒に荷物を受け取りにいってほしい」と頼まれた。そこで、出かけたところ、林と郭に出会ったわけである。
さて、２１日、郭と謝がタクシーで倉庫に行くところから、再び、弁護人の郭に対する被告人質問に戻ろう。
──あなたが行ったとき、荷物はどうなっていましたか。
「倉庫についたとき、まだ荷物がきていませんでした」
謝の公判に証人として出廷した郭と劉の証言も加えると、その後、倉庫では次のようなことが行われた。
郭は倉庫のようすを見た。倉庫は二つあったが、借りた倉庫のほうは、２階建てで、２階にはガラス会社の事務所があり、倉庫内の階段から入るようになっている。そのため、人の出入りがあった。もう一つのほうは、平屋で、事務所などはない。こちらのほうが、解体、取り出し作業には都合がいいので、平屋を借りたいと思った。
謝は管理人と交渉し、さらに、紹介してくれた日本人にも連絡し、なんとか変更できないかと交渉した。管理人も上司に相談しているようだったが、交渉中に２台の車で、３５個の木箱が運ばれてきた。郭が受け取り、陳と偽名のサインをする。
一方、郭と林が、謝に会うために、喫茶店を出ていった後、王は劉と一緒に別の喫茶店に移り、その後、２人は車で倉庫付近に行く。王は新しい倉庫なので不安だった。
これまでの千葉・大栄の倉庫は、無人の倉庫であり、周囲には建物も少なく、人目につきにくい場所だった。今回は、まったく違う。郭と謝が管理人と話したり、運ばれてきた荷物の受け取りにサインをしているのが見える。
王が、「倉庫について問題があるか、郭に聞いてくれ」と劉にいうので、郭の携帯電話にかけた。郭は、「問題がある。ほかの人が行き来する。ちょっと不便だ。ほかの倉庫を使うのが可能か」と報告する。それを聞いて、王は、「ほかの倉庫を探すように」と林に連絡する。１０分後ぐらいに、林から返事がきた。「時間が厳しいので、見つからない」というのだ。倉庫の変更を断念する。
結局、この倉庫を使うことになったが、荷物が運び込まれた後、郭が王に連絡すると、「きょうは解体、取り出し作業はしなくていい」と指示される。この日は、荷物を受け取り、倉庫に入れただけで引き上げた。
倉庫を出た後、郭と劉は、王、王の車の運転手らと、東京・板橋で食事する。
「あしたは土曜日なので、人がいない。あしたとあさってで、なるべく早く取り出すように。解体、取り出し作業に使う道具を用意しろ」と、王が指示した。また、今度の倉庫は人目につきやすい。倉庫内での小分け作業は無理なので、「近くにホテルを予約するように」とも指示、ホテルの部屋を２４日まで３泊予約した。
ホテルでは、取り出した覚せい剤を１キロずつ小分けする予定で、電子計量器持ち出すためのスーツケースなどを運び込む。
８月２２日の朝、郭と劉は池袋の喫茶店に行く。王と通称小虎という中国人の男が待っていた。王が車を運転して先導し、もう１台のワゴン車に、郭と劉が乗ってついていく。ワゴン車の中には、木箱を外す道具、取り出した覚せい剤を詰める折り畳んだダンボール箱などがあった。
午前１０時過ぎ、ワゴン車が倉庫に到着すると、倉庫の前には、すでに謝が待っていた。
解体作業がしやすいように、倉庫の従業員に頼み、フォークリフトで木箱の間隔をあけてもらう。３月の１回目は、郭、劉のほかにジャッキーがいて、３人で解体、取り出し作業を行った。郭と劉は初めてだった。ジャッキーに教えてもらいながらやったので、４日間かかった。６月の２回目も、この３人でやったが、郭と劉も慣れたので、３日間で終わった。今度は２人だが、何とか２日間で終える予定だった。
郭と劉は、作業着に着替え、車から折り畳んでもってきた１０個のダンボール箱を組み立てはじめた。すると、謝が、「あなたたちは、早く木箱を取り外してください。それは私がやります」といった。そこで、２人は途中でダンボール箱の組み立てをやめ、早速、木箱の取り外しにかかる。
２人は、まず、１個に１台ずつ入った３５個の木箱を全部取り外した。木箱の表面には、「中華人民共和国」と書いてあった。中には説明書みたいなものがあり、「メイド・イン・チャイナ」とある。
このころ、ちょうど昼食時になる。謝は倉庫を出て、近くの店に食事をしにいく。郭は、「弁当をとりにきてくれ」という王からの電話で、昼食をとりにいく。それを持ちかえってきたので、劉が食べる。郭は、そこでは食事をせず、倉庫のシャッターをおろして、今度は機械の解体、覚せい剤取り出し作業にとりかかる。劉も１０分ぐらいで食事を終え、ボール盤を１台ずつ解体し、支柱や台座などに隠された覚せい剤の入った袋を取り出し、それを車のところに置いてあるダンボール箱に入れはじめた。
昼食から帰った謝は、倉庫の前にある倉庫会社の事務所にいて、何かあったら、携帯電話で連絡する手はずだった。機械の解体中、謝から劉の携帯電話に連絡が入った。「人が入るから、ちょっと気をつけて、早くやってください」。そのやりとりを耳にした郭が、「だれから」と聞く。「謝」と劉が答える。
間もなく、日本人の男がシャッターの脇にあるドアを開けて、倉庫に入ってきた。２階にあるガラス会社の事務所に上がる階段のほうへ歩いていった。ガラス会社の人間のようだ。
２人は仕事を続けた。仕事をしていたほうが不審に思われない。覚せい剤を見られなければいい。
その後、しばらくして、日本人の男は、同じドアから出ていった。王からは、「なるべく早くやれ」という電話が入る。
しかし、すでに手遅れだった。千葉県警は捜査情報をもとに、大井埠頭接岸時から、荷物の動きをマークし、ＣＤ捜査により、倉庫は監視下に置かれていた。
荷物が届けられた８月２１日から監視態勢がしかれ、倉庫の２階、倉庫会社の事務所の中２階に、それぞれ数人の捜査員が配置され、倉庫の入口が見渡せる外の道路上、やや離れた地点には、現場行動確認車が止まり、倉庫の出入り状況をビデオカメラで見張っていた。
現場指揮車である行確車には、張り込んだ捜査員から、「金属の支柱をたたくような音がする」などという報告が刻々と入り、これらの動きは、総合指揮者である千葉県警薬物対策課長のもとへも逐次報告された。
ボール盤７台から約５６キロの覚せい剤を取り出し終わった午後２時４５分ごろ、倉庫への突入、検挙命令が出され、郭と劉は倉庫内で、謝は雑誌を読んでいた事務所で逮捕された。
逮捕された当初、郭は虚偽の供述を繰り返していた。首謀者は謝であると言い張っていたのである。
──調書の中で、最初、別の人から命令されたと述べていますが、王がこわかったから、そういったのですか。
「はい」
──最初、王のことを隠したのに、最終的に、彼のことを話したのはなぜですか。
「逮捕され、後悔し、正直に話したほうがいいと思ったからです」
──王の報復について、いまはどう考えていますか。
「いまでもおそれはあります」
──今回、日本にきて、このような犯罪をおかしたのは、どうしてですか。
「当時、仕事がなかったので、金がほしいと思いました。王が、私に仕事を与えてくれたとき、ただ、倉庫の家賃を払ってくれればいいといいました。また、時間があれば、日本を自由に歩いてもいいともいうので、自分の興味のあるオーディオを見たりしたいと思いました。しかし、オーバーステイになり、別に報酬ももらえるというのでやりました。２回目以後は、王の報復をおそれてやり続けました」
毎月の２０万円のほかに、覚せい剤の解体、取り出し作業を行うたびに、その１週間後、新宿の中華レストランで２００万円を受け取った。それまでの報酬４００万円は、飲食費などに使い、今回も報酬は２００万円の約束だった。
続いて、検察官も質問する。
──王がこの事件の首謀者だと思っていますか。
「はい」
──王の仲間が、ほかにも香港にいると思っていましたか。
「そう思っています」
──劉の報酬はいくらですか。
「１００万円」
──３月、６月も１００万円ですか。
「はい」
──どうして、あなたが多いのですか。
「私は荷物の受け取りの仕事もしているからです」
──８月１１日ごろ、香港から覚せい剤を仕出ししたが、王は香港にいたのですか、日本にいたのですか。
「日本にいたと思います」
──王のことを日本のヤクザとつながりのある人だと思っていましたか。
「１回目手伝ってから、多分、そうだと思いました」
──覚せい剤を売りさばくため、日本のヤクザが関与していると思ったということですか。
「はい」
──倉庫で覚せい剤を取り出した後、ホテルで覚せい剤を小分けする計画でしたが、小分けした覚せい剤を、どのようにして王に渡すつもりでしたか。
「約束としては、王が倉庫の外で待機し、私たちが覚せい剤を取り出して、一緒にホテルに行き、かれに渡すことでした。しかし、途中で逮捕されました」
──あなたは、劉と機械を解体していたころ、王が近くにいると思っていましたか。
「はい」
──王のほかに、倉庫の近くに、だれかいると思っていましたか。
「王の運転手、小虎。謝もいます」
池袋から一緒にきた王らの車は、帰らずに、そのまま、近くの路上に駐車し、周辺を警戒していたのだ。張り込んでいた捜査員も、仲間の車のようだと、その存在に気がついていた。しかし、残念ながら、かれらを取り逃がした。
──日本で覚せい剤を持っていたり、扱うと、厳しい処罰があるのは、しっていましたか。
「よくわかります」
──輸入するのもいけない。処罰の対象になるということは、どうですか。
「はい。私は輸入には関与していません」
続いて、証言席についた劉も坊主頭で、ネズミ色のトレーナーを着ている。背は郭よりも頭半分ぐらい高い。体には刺青があるそうだ。香港に住む劉は、強盗などで刑務所に入り、９７年末に出所し、アルバイトをしていた。
王から、「仕事の手伝いをしてくれ。１００万円の報酬をあげる」と誘われたとき、「普通の仕事ではないと感じた」が、１回目の密輸の直前、日本に入国した。劉の場合は、覚せい剤取締法違反（営利目的所持）だけで起訴された。解体、取り出し作業しか行わなかったためだ。
郭と同じ弁護人である。
──仕事の中身が、覚せい剤に関係しているとわかったのは、いつですか。
「来日するとき、機械を取り外す仕事と聞きましたが、解体するとき、白い粉を見つけて、覚せい剤かなと思いました」
──その仕事をやめようという気にはならなかったのですか。
「思いました」
──どうして、やめなかったんですか。
「香港で罪をおかし、日本に逃げてきました。仕事を断ったら、日本で生活できなくなると考えたからです」
──今回は参加しないようにしようと考えませんでしたか。
「思いました。しかし、王を大変おそれていました。日本でほかに頼る人もいませんので」
検察官の質問では、次のようなやりとりもあった。
──来日直前、刑事裁判を受けていましたが、あなたの身分は、保釈ですか仮釈放ですか。
「保釈です」
──裁判の途中で、判決は出ていなかったのですか。
「はい」
──もし、香港に帰ったとすると、裁判を受けなければいけないのですか。
「はい」
──どういう裁判ですか。
「傷害ともう一つです」
──覚せい剤を取り扱うと、日本で厳しい処罰をされることはしっていましたか。
「しっています」
２人の被告人質問とともに、この日、情状証人の証言が行われた。まず、郭の姉である。小柄な人で、会社員をしている。もう一人の姉が傍聴席に座っている。２人とも香港から駆けつけた。被告は７人兄弟の末っ子だ。
──被告は、相当長期の収容になると思いますが、出所後、監督する気持ちはありますか。
「必ずそうします」
──被告に面会したときも、そういう話をしましたか。
「はい」
──家族を含めて、しっかり監督し、二度と悪いことをさせないということですか。
「はい。必ずそうします」
──被告も二度と悪いことをしないと、反省の態度が見えましたか。
「面会したとき、後悔している、もうこのようなことをしないと話していました」
続いて、やはり香港からきた劉の兄の証言だ。会社で経理の仕事をしている。兄弟は１１人で、男は４人。この兄は３番目で、被告は４番目だ。
──きのう、被告に面会しましたが、どういう話をしましたか。
「反省しているといっていました」
──被告が相当長期に収容されると思いますが、出所したら、どうしようと思いますか。
「長い時間をかけて、本人を指導します」
──逮捕歴もあるし、監督するのは難しいのではないですか。
「限界はありますが、全力をつくして指導しようと考えています」
このような弁護人からの質問が行われた。わざわざ香港からやってきたが、情状証人という性格上、質問時間は２人あわせても約３０分と簡単に終わった。
被告人質問、情状証言が終わり、引き続いて、検察官の論告・求刑が行われ、郭に対し、懲役１５年、罰金５００万円、劉に対し、懲役１２年、罰金３００万円を求刑した。
一方、弁護人は、郭について、密輸は無罪であり、両被告について、「寛大な判決」を求めた。郭も、「密輸に関しては、ほんとうに関与していない。寛大な処分を」と訴え、劉は、「今回、日本の法律に触れ、迷惑をかけて大変申しわけない。一日も早く社会復帰し、両親の面倒をみたい」と、最後に述べた。
閉廷後、弁護人と情状証言した被告の兄弟の話が耳に入ってきたが、兄弟は、無期懲役を求刑されるのではないかと心配していたようだ。
６月４日、第３回公判で、判決がいい渡された。開廷前、地元のテレビ局の撮影が２分間ほど行われ、その後、２人の被告が入廷した。郭は黄色いＴシャツに青いジーパン、劉は黒い地に飾り十字を白く抜いたＴシャツに白いズボンで、証言席の前に立つ。
郭の判決は、懲役１２年、罰金５００万円、未決算入２４０日。劉は、懲役１０年、罰金３００万円、未決算入２４０日だった。押収された覚せい剤は没収である。罰金を支払えないときには、１万円を１日に換算して、労役場への留置となる。
主文を読み上げた裁判長は、丁寧に解説する。
「２４０日をすでに刑務所に行ったものとしますから、刑務所に行くのは、それぞれの刑期から約８カ月を引いた期間です」。また、「日本には仮出獄という制度があるので、まじめに服役すると、刑期の７割程度で出所できる場合もあります」などとつけ加えた。
なお、郭は密輸に関して無罪を主張していたが、「通関手数料の支払い、倉庫の下見、荷物の受け取りなど、覚せい剤密輸計画を十分に承知し、本件密輸に重要かつ不可欠な役割を果たした」などとして、密輸についても有罪とした。
さらに、「本件の背景には、大きな薬物密売組織があり、国際的組織的計画的な重大な犯罪である」「量が空前ともいうべき大量」であり、「１回あたりの使用量が０．０３グラムとすると、１０００万回分の使用量にあたる。拡散されれば、社会的害悪ははかりしれない。また、末端価格は１０５億円から１８０億円とされ、国内の密売組織に巨額な不当利益を与えるのも明らかだった」「覚せい剤の供給のほとんどは海外からの輸入であり、取り締まりの強化が強く求められている」などと断罪した。
しかし、首謀者は別に存在し、被告は反省し、日本での前科もなく、兄弟も監督することを誓っていることなどから、「日本の法律に照らすと、郭は３年以上２０年以下の懲役、２０００万円以下の罰金、劉は懲役１年以上１５年以下、罰金５００万円以下となる」が、主文のとおりの判決にしたと述べた。
約１時間の判決いい渡しの間、２人は起立したままで聞いていた。「判決の内容はわかりましたか」と、裁判長から尋ねられ、２人はうなずく。最後に、裁判長は、判決に不服がある場合、控訴することができるとも述べたが、退廷するため、傍聴席のほうを振り返った２人の顔に、一瞬、笑いを感じた。
全面否認し、分離公判の謝は、半年後の１２月２４日、懲役８年をいい渡されたが、東京高裁に控訴した。王ら５人は指名手配されている。
千葉県警では、かれらは、９８年の３回を含め、９６年５月から１２回も、同様な工作機械を輸入したとみている。
王らの覚せい剤密輸事件の半年後、まったく同様な手口の事件が発生した。
９９年１月１１日、パナマ船籍のコンテナ貨物船が、香港の北西約１００キロにある中国広東省広州の黄埔港を出港し、１月２０日、横浜の本牧埠頭に入港した。埼玉の貿易会社あての１台のコンテナには、コンピュータのタワーケース１２００個が積み込まれていた。
１月２６日、横浜税関が麻薬捜査犬などを使って検査したところ、長さ約１２メートル、縦横２．４メートルのコンテナの天井部分の外壁と内側の天井板の間に、覚せい剤が隠匿されているのを確認する。
そこで、埼玉県警、神奈川県警、東京税関、横浜税関がＣＤ捜査に入り、１月２９日、コンテナが千葉・関宿の倉庫にトレーラーで配送されると、以後、倉庫は厳重な監視下に置かれた。
３日後の２月１日、この倉庫に４人の男がやってきて、天井部分から覚せい剤を取り出しているところを逮捕したのである。押収された覚せい剤は約２００キロにものぼった。
覚せい剤取締法違反（営利目的所持）で、浦和地方裁判所に起訴され、４月２１日、初公判の法廷にあらわれたのは３人だけだ。
まず、イギリス国籍の呉有容被告（３１歳）は、香港生まれの独身で、自動車運転手だ。９８年１０月、「車を運転してくれれば、多額の報酬をやる」と、香港の三合会と総称される犯罪組織の李中成（３０歳）から誘われ、９９年１月１６日、主犯格の李とともに来日する。
２人目は、中国人の胡宏源被告（３２歳）。南京で生まれ、中学を卒業し、香港に移住して、時計・衣類の販売の仕事をしていた。３年前、シンガポール国籍の女性と結婚し、長女がいる。胡は、１０年ほど前、呉から紹介されて李としりあう。李から金を借りたり、飲みに連れていってもらうなどしていた。９８年１２月、「日本に行って、仕事をしてくれ。危険ではない」と、李からいわれ、１月２１日、来日する。
３人目は、中国人の周千里被告（４４歳）。広東で生まれ、父親の農業の手伝いをしていたが、２４歳のとき、香港に出稼ぎにいく。電気工事の作業員などをしていた。独身で、広東に父親と姉が住んでいる。周は競馬好きな上、父親が病気になり、治療代も必要になったので、李から約５万香港ドル（約７５万円）借りた。
９８年１０月ごろ、「船で覚せい剤を１９０袋密輸する。コンテナに隠してあるが、そこから取り出せば、１袋あたり１０００香港ドル（約１万５０００円）払う」と、李から誘われた。２日間ほど考えたが、「非常に安全だし、やりやすい」ともいわれ、承諾する。日本にくる前、コンテナの天井板を取り外し、覚せい剤の入った袋を取り出す方法を教えられた。１月１１日、張徳念（４５歳）と一緒に来日する。
３人とも起訴事実を全面的に認める。王らの密輸事件と同様に、逮捕・起訴された４人のうち、直接取り出し作業に従事していなかった張は否認して、分離公判となった。
張被告の初公判は、４月２６日、別の法廷で開かれた。開廷前、証拠物の覚せい剤が、台車２台に乗せられ、それぞれ２人の係官が押して、運び込まれた。ミカン箱よりも少し大きめの埼玉県警と名前の入ったダンボール箱１２個にぎっしり詰められている。
張は台湾出身で、独身の中国人。ジャンパーにジーパンで、少し頭がはげかかっている。事件当時、香港に住んでいた。「最初から最後まで、内容については何もしらなかった」と、覚せい剤の密輸、所持について全面的に否認し、弁護人も、「無罪を主張します。コンピュータのタワーケースの輸入に関与しただけで、覚せい剤の所持については一切関与していない」などと意見を述べた。
４人の初公判以後、かれらの公判で明らかにされた、日本での密輸受け入れ手口は次のようなことであった。
９８年１１月１４日、李は張と一緒に来日する。張は、荷受人としてしりあいの貿易会社社長の名義を借りた。また、１２月８日、別の知人の日本人に対し、「コンピュータのタワーケースの貿易をやるから」と、その日本人名義で、倉庫を借りてもらう。その後、李も張も一度香港に帰るが、年が明けて、１月１１日から２１日にかけて、再度、李らの受け入れメンバーが日本に集結する。
コンテナの天井から覚せい剤を取り出すための電気ドリル、天井の作業をするための脚立、コンテナ内を照明するための投光機、取り出した覚せい剤を運ぶためのダンボール箱、小分けするのに必要なはかりなどを購入する。１月２０日ごろ、張は倉庫を借りてくれた日本人に依頼して、今度は、レンタカーと千葉・野田のアパートを借りてもらう。１月２７日から、そのアパートで暮らす。１月２９日、東京・赤坂のファミリーレストランで、「コンテナが倉庫に到着した」と李からいわれる。
１月３０日、張らは倉庫に行き、コンテナ内のコンピュータのタワーケースを外に出すなどして、コンテナの天井から覚せい剤を取り出す準備作業を行う。１月３１日、新宿の焼肉屋で、「覚せい剤１９０袋を、あした取り出せ」と李が指示する。また、李はそれぞれの役割分担も改めていい渡した。周はコンテナの天井板を外す。胡はダンボール箱を組み立て、取り出した覚せい剤を詰める。呉は覚せい剤を詰めたダンボール箱を車に積み込み、千葉・柏に用意したアパートに運ぶ。張は倉庫周辺の見張りだ。「それぞれ、１袋１０００香港ドルを支払う」と、李は報酬についても、もう一度言及した。この席には、李の兄も参加していた。
２月１日、日本で国際免許証を取得した呉の運転する車で、倉庫へ行く。周と胡は、コンテナの内部に入り、呉はダンボール箱を運び込む。そして、取り出し作業中、かれらは逮捕された。
周は、弁護人の質問に、弱々しい口調で答えた。
──もし、捕まったら、どんな刑罰を受けるのか、まったく考えなかったのですか。
「李が『非常に安全だ』というので、あまり深く考えませんでした」
安全というのは、警察には見つからないということであった。
検察官の質問に対して、胡は、こう答えた。
──これまで、李の下で、薬物の取引に関与したことはありますか。
「以前、手伝ったことはあります」
胡は、かつて香港の犯罪組織に加入していた。そのころ、香港から木箱を日本に送りだしたり、大麻の箱を船から下ろしたことがあった。
３人とも、懲役８年、罰金２００万円の判決を受ける。李とその兄が指名手配された。
ところで、かれらの法廷では、覚せい剤を意味する中国語について、やりとりがあった。かれらの間では、覚せい剤のことを、広東語で、ベン（冰＝氷）とかベンタン（冰糖＝氷砂糖）という言葉を使っていた。北京語での発音は、ビン、ビンタンとなるが、３人の被告のうち、呉は、その言葉が覚せい剤を指すものとはしらなかったと否定したのだ。
裁判所の中国語通訳マニュアルをみると、覚せい剤のことを、中国語で興奮剤と表記している。そのとおり、法廷で興奮剤と通訳するが、中国、香港では、人民日報をはじめマスコミなどは、覚せい剤のことを冰とか冰毒（ビンドゥ）と呼んでいる。周は文字の読み書きが苦手だが、香港のテレビや映画を見て、ベンという言葉が覚せい剤を意味することをしっていた。
ちなみに、覚せい剤のことは、台湾の中国語新聞を見ると、安非他命（アンフェタミン）となっており、韓国の英字新聞ではＨＩＬＯＰＯＮ（ヒロポン）、フィリピンの英字新聞ではＳＨＡＢＵ（シャブ）と表記している。
（２００１年１月１５日掲載、登場人物は仮名、著作権者・サクマ テツ）
覚せい剤密輸中国ルート事件（下）
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SAKUMA TETSU
フリーライター
著書［恐るべき証人］［検死解剖マニュアル］［拳銃天国ニッポン］など